ジョルジュ・バタイユはブランショの友人であり、30年代にシュールレアリストや極左のグループ、秘密結社のうちに共同体の幻影を求めては挫折をくり返した。結局、バタイユは孤独な内的体験に恍惚(こうこつ)を見いだしたが、ブランショによれば、それがすなわち共同体を断念したことにはならない。バタイユはファシズムや共産主義といった、国家や民族という単位に収束してしまう偽りの共同体をあきらめただけで、共同体の不在はバタイユに苦悩にみちた夜のコミュニケーションである「書くこと」を要請し、別次元での共同性の開示をせまった。それが、孤独を生きることを前提とする文学空間だったのだという。
併録されている「恋人たちの共同体」は、マルグリット・デュラスの愛の作品『死の病い』を論じたものだ。ここでブランショは、ふたりの男女が触れあうたびに埋めようのない差異をきわ立たせ、絶対的な他者でしかないと思い知らされるような地平に「共同体をもたない人びとの共同体」の可能性をみようとしている。(渡辺和久)
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ブランショは右翼の政治ジャーナリストとして出発し、文学に転向した後はほとんど政治的な発言をしてこなかった。そのブランショの貴重な政治的傾向の強い書なのだが、もちろんブランショのことだから簡単に「政治的」と片づけるわけにはいかないが。
また、本書はバタイユの共同体論とデュラスの小説論の二編から構成されているが、テクストの実に半分近くを西谷修による訳注、あとがき、付録が占めている。そういう意味では、この翻訳書は西谷とブランショの共著といった趣が深い。
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