本書は、ユダヤ教聖典の一部分である「諸書」に属するメギレート(「巻物」)と呼ばれる五文書から構成されています。
亡き夫と姑に誠を尽くす女ルツが幸福に至る物語『ルツ記』、恋愛の喜びを格調高く詠んだ詩篇『雅歌』、俗世の無常を空と嘆く散文的詩篇『コーヘレト書』、自らの驕慢の故にヤハウェの怒りを買い異国に支配されたエルサレムの愁嘆する叙事詩『哀歌』、異教徒の陰謀により暴虐を被るユダヤの民の王妃エステルによる救済の物語『エステル記』。これらの五文書に於いては何れも神の存在への言及は至って少なく、聖典としては宗教色の希薄なものとなっています。『ルツ記』に於いてはルツに幸を及ぼす者、『哀歌』に於いては驕慢なユダヤの民に鉄槌を下す者として語られるものの、畏怖の対象である神を積極的に定立することはなく、況して神の存在の合理性や正当性の論述などは全くなされていません。
しかし、これらのことが本書を軽視する理由とはならないでしょう。人間に先立つ存在としての神か、人間が措定した存在としての神かという議論はさて置き、ある宗教に於ける神とそれが存在する環境(人心、地勢、文化、文明など)の間には支離されざる関係があり、ここに収められた五文書は、ユダヤの神の存在する環境を十全とは言わないまでも過不足なく記述しているからです。神の怒りが顕現している『哀歌』にあっては勿論のこと、美しい恋愛詩である『雅歌』にあってさえ神の存在は浸透していると言えるでしょう。
それに加え、本書の文学的価値を無視する訳にはいきません。人間の魂の歓喜や苦悩といった永劫の歳月を経てもなお語られ続けることがここで既に語られており、修辞技法は現代のそれより幾らかナイーヴであるとはいえ、それでも適切且つ効果的に用いられています。現代にあってなお滔々と流れる文学の大河の源流近くに注ぎ込む力強い流れであると言って言い過ぎではないでしょう。
時代背景に留まらず、修辞技法や文法にまで及ぶ訳註そして解説も適切です。