木村剛、君はいったい何だったのか?
著者は「おわりに」で、「小泉純一郎の聖域なき構造改革と竹中平蔵との癒着の谷間に咲いた徒花(あだばな)−−だった」と書いている。
「徒花」(あだばな)とはよく言ったものだ。たしかに木村剛は目立つ花として咲いたが、枯れた花は無残にも踏みつぶされて消えていった。
有森隆のノンフィクションの愛読者としては、よくぞこのテーマを取り上げて書いていただいたという感も強い。
なぜなら、木村剛とは同年生まれで、金融界に身を置いていたことのある私にとって、木村剛の存在は無視できないものだったからだ。
出身大学も勤務先も違うが、日本振興銀行が設立される前に、実は「設立企画書」を見たことがある。関係先にコピーされて出回っていたからだ。志は高いが、おそらくこの銀行は成功しないだろうと直観的に思ったことをここに書いておく。理想は高いが、銀行ビジネスの王道にまったく反したビジネスモデルであったからだ。
日本振興銀行の成立事情とその後の軌跡は、本書に詳述されているとおりである。商工ローン SFCG との関係は、テレビや新聞の報道ではわかりにくかったが、本書を読んでスッキリと理解できた。「債権の二重譲渡」問題の本質が何であったかについて、よく書き込まれている。
「策士策に溺れる」というコトバがある。己を知らなすぎた「策士」木村剛は過信のあまり暴走し、自らが主張してきたこととは真逆の行いで多くの日本の中小企業の世界に大きな禍根を残し、そしてついに逮捕された。
小泉純一郎と竹中平蔵、そして木村剛。彼らに対する著者のスタンスは厳しいが、もちろん彼らは功罪相半ばする存在だ。本書は功罪の「功」の面もキチンと書いてあるので安心して読める内容になっている。
バブル崩壊からすでに20年、この間に多くの経営者が浮いては沈んでいったが、金融界の「徒花」(あだばな)木村剛もまたその一人であった。「失われた20年」を振り返る意味でも内容の濃い一冊である。