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日米同盟はいかに作られたか 「安保体制」の転換点 1951-1964 (講談社選書メチエ)
 
 

日米同盟はいかに作られたか 「安保体制」の転換点 1951-1964 (講談社選書メチエ) [単行本(ソフトカバー)]

吉次 公介
5つ星のうち 4.5  レビューをすべて見る (2件のカスタマーレビュー)
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商品の説明

内容説明

池田勇人政権こそが、日米安保の岐路だったアメリカから「貢献」「負担」を迫られ日本が応じる―「大国」に脱皮せんとする池田政権が強化し、現在まで日米関係の根底に据えられてきたこの構図の核心に迫る

内容(「BOOK」データベースより)

安保闘争の余韻が残る中、「大国日本」を志向する池田勇人政権は、日米安保体制の大きな岐路に立っていた。アメリカが「負担」の分担を求め、日本がそれを受け容れるという、今日に至る構図を決定づけた外交プロセスとはいかなるものか。歴代首相と、外相・外務省の意図と動向、そして「天皇外交」の実相―。外交文書を緻密に読み込み描き出す。

登録情報

  • 単行本(ソフトカバー): 232ページ
  • 出版社: 講談社 (2011/9/9)
  • 言語 日本語
  • ISBN-10: 406258512X
  • ISBN-13: 978-4062585125
  • 発売日: 2011/9/9
  • 商品の寸法: 18.8 x 12.8 x 2 cm
  • おすすめ度: 5つ星のうち 4.5  レビューをすべて見る (2件のカスタマーレビュー)
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By Gori トップ500レビュアー VINE™ メンバー
日本全国を争乱の渦に巻き込んだ60年安保で岸政権が倒れると、
1960年(昭和35年)7月14日に自由民主党総裁選挙に立候補して当選し、
自民党第4代総裁に就任した池田勇人首相は、
「所得倍増」をスローガンに掲げて経済重視の内政主義を打ち出した。
外政では「大国日本」を志向していた。
アメリカは、アメリカ、欧州とともに日本が欧文の国際的負担をし、
自由主義陣営の第三の核になることを望んだ。

この時点で、日本は中立国として進むことも可能であったが、アメリカはそれを最も危惧し、
日本に明確な立場を取ることを望んだ。
アメリカ国内では「日本は臆病なドラゴン」との見方が広がり、
エマーソン公使は「臆病な巨人。どっちつかずの国」との見方を示し、
ライシャワー大使は「誰にも気付かれないように教室の後ろに座りたがる大きな男の子」と評された。

ではその50年余あとの、今の日本はどうなのか。
見方は余り変わっていないように思われる。
日本は今からでもキラっと光る小国を目指すこともできるのではないか。
スイスのように。
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By それから トップ1000レビュアー
副題にある通り、サンフランシスコ講和条約と同時に吉田茂が日米安保条約に調印した1951年(昭和26年)から池田隼人が東京オリンピックの閉会式を見届けて辞意を表明した1964年(昭和39年)までの約14年間の詳細な記録である。足掛け7年に及んだ占領期、そして池田逝去(1965年)後については殆ど触れていない。著者の意図が明確で小気味よい。
1972年生まれの著者が公表された資料に基づき時代を正確に再現した努力に敬意を表する。その時代を過ごした小生にとっては忘れてしまったこと、今まで認識していなかったことなど教えられることが多い。

さて、この時代を主導したのは、吉田、鳩山(一郎)、岸、池田の4首相であった。吉田が講和条約調印時に米国に安保条約を求めたのは、国家安全の見地から絶対に必要なことであった。そして岸が1960年に安保改定を強行したのも当然のことであった。岸の後を襲い「所得倍増論」で知られる池田は、とかく経済優先で防衛や安全保障に疎い感じを受けるが、経済成長を背景にしてアジアやヨーロッパとの連携の下に安全保障体制の確立に努める。特に著者は池田の実績についてページを割いている。この辺り多くの人に読んで貰いたい。

池田も戦後体制の不条理(戦後初期のGHQによる東京裁判史観と戦後憲法の押付け)を十分に承知していた。その制約のなかで政策を行わざるを得なかった。しかし、その後「戦後レジームからの脱却」を掲げて安倍首相が(1)防衛庁の防衛省への格上げ、(2)教育基本法の見直し、(3)憲法改正手続きへの着手を決定するまで具体的な動きに誰も着手できなかった。被占領の傷跡はまだ深い。
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