開戦にともない偶々、相手国に居留していた外交官・商社員や民間人・学生たちは敵性外国人として取り扱われることになる。日米開戦翌年の昭和17年6月、ジュネーヴ条約に基づいて敵性外国人交換のため、第一次日米交換船が計画された。日本側は、横浜から浅間丸そして上海からコンテ・ヴェルデ号、アメリカ側は、ニューヨークからグリップスホルム号が出航し、東アフリカのロレンソ・マルケス港で乗客を交換して出港地に戻ることになる。戦争中でありながら交換人員夫々約1,500名、約2ヶ月に及ぶ実に壮大な航海であった。
本書は、ハーヴァード大学留学中、20歳で交換船により帰国した鶴見俊輔氏(当時、82歳)を囲む座談記録と黒川創氏による詳細な交換船の記録の二つからなっている。鶴見俊輔氏の当時の回想、そして帰国後60余年を経た時点での発言には興味深いものがある。本書は、交換船研究の決定版になるだけでなく、交換船で帰国した人々の「戦後思想」の形成に及ぼした影響を知る上で貴重な資料となろう。
鶴見俊輔氏は、開戦後、「自分は無政府主義者だからどちらの国家も支持しない」といって逮捕されたという。そして、後に帰国するか否かを問われたとき、帰国することを決めたが、それは「愛国心では絶対なかった」と今、言い切っているのが凄い。