60年代、その独自の斬新な作風で異彩を放った中平康の才気と、加賀まり子の小悪魔っぽい感性が見事に融合したモダンな快作。
脚本に斎藤耕一と倉本聰、撮影に山崎善弘、音楽に黛敏郎と言った当時新進気鋭だったスタッフのもと、加賀まり子が軽快でポップなテーマ曲に合わせ、女性誌のピンナップ写真から抜け出たような錯覚を起こさせるオープニングのタイトル・ロールから、ヨコハマを舞台に、スタリリッシュなモノクローム映像と共に、全編彼女の魅力が堪能出来る。
その凝ったカメラアングルの中でも、劇中4度に渡る彼女のクローズ・アップの可憐さを見るがいい。
最初の加藤武との情事での、「papa」と甘く囁くコケティシュな可愛さ。
腹いせに中尾彬とSEXし、何故か警察で聴取される際の、瞬きひとつせず長台詞を独白するコメディエンヌとしての魅力。
中尾にプロポーズされる時の、色気をそそる媚態ぶり。
そして、ラストの、女のふてぶてしさと強さと怖さを実感させられる小悪魔さ。
正に、当時、“六本木族”として、自由奔放に夜の東京を闊歩していた実生活の彼女がオーバーラップされる。
オードリー・ヘップバーンが「ティファニーで朝食を」でそうであったように、同様にブリジッド・バルドーが「素直な悪女」でそうであったように、また、ジョアンナ・シムカスが「若草が萌える頃」でそうであったように、ただひたすら女優の魅力を映し出す事のみに執着し続けた映画があっても良い。
60年代は、それ以外にも、例えば、「ジョアンナ」であったり、「バーバレラ」であったり、「唇からナイフ」であったり、とそんな映画が多かった。
そして、この映画は、加賀まり子の魅力を余す事なく切り取った映画だ。それだけで良い。それだけで十分だ。