本CD、「音禅法要」と銘打って2008年4月22日、京都紫野大徳寺塔頭:真珠庵で行われた「法要=典礼」のライヴ録音。
ジャケット表紙のタイトルにもあるように、この記録は基本はあくまでも禅の「法要」であり、実際に大徳寺派管長の列席のもと、大徳寺の僧侶(その中には、専門道場において修行中の、プロの修行僧である雲水も入っている!)によって行われ、世界平和の祈願と大徳寺の住職でもあった一休和尚に捧げられた正真正銘の法要=典礼である。
しかしながら、このCDが独特なのは、法要=セレモニーとしての基本の枠組みを守りながら、同時に音による芸術という方向性をも強烈に指向しているところである。宗教的な典礼の記録、あるいは宗教的なインスピレーションに基づく芸術作品の録音といったものは、個別の形においてはそれほど珍しくはないのであるが、宗教的な指向と芸術的な指向とを本格的な形で調和させることは、実は極めて難しいことである。宗教は根本においてはあくまでも内省的なものであり、芸術は反対に表現することをその創造性、その「いのち」としているからである。
われわれは、ヨーロッパのキリスト教芸術(教会音楽など)の豊かな世界が、実は極めて危うい均衡の上に、しかも長い時間をかけての精神的な格闘の後に初めて成立したものであるということを余りにも忘れがちであり、ヨーロッパ世界の宗教芸術の世界が、歴史的−時間的、地理的−空間的な広がりから観れば、むしろ特殊で稀なもの、希少な精華であるということに対してもっと意識的にならねばならないであろう。
さて、そうした観点からしても、この「音禅法要」はかなりユニークなもの。法要の方は伝統的な形で進行するが、それに寄り添うような形で動いていく音楽は、既にヨーロッパ風のものとは全く違う。サウンドを聴いていると、現代ヨーロッパの音楽にも同じような感じのものがあるのでうっかり聞き逃しがちであるが、ここでの音楽は、リズムが、あるいはメロディーが「解体された」などという生易しいものではなく、全く違う論理、全く違う形式=構造で動いているのである。しかもそれが、伝統的な日本風(ジャポニズム風)のものではなく、繊細で現代的な感覚に引き付けられて結晶化されているところは、希有なことである。要するに、かなり前衛的な試みであるといえる。
総合的に言って、本CD、心の底に響き入るような静寂感とサウンドの独特の美しさゆえに、難しいことなど言わなくても十分愉しめるものであり、ヒーリング的な効果も感じられる。だから、難しいことを気にする先入観なしに聴けるならば、かなりお薦め! 因みに顔ぶれは、ツトム・ヤマシタ氏のサヌカイト(石で作られたパーカッション)、三好芫山氏の尺八と、豪華なもの。仏文、英文による15ページ程のブックレットの解説も面白い。