取り上げられている作家は、昭和の太宰治から、明治の夏目漱石にさかのぼる24人。この選択からすれば、太宰までが「近代文学」ということになる。冒頭、吉本は「親疎の感じがまだ生々しくて公正を期することができない作家」は落とし、「太宰治から逆に折り返すことになった」と断わっているが、そのあたりに、吉本の時代区分の基準がありそうだ。
たとえば、本書で論じている作家以外の小川国夫や、島尾敏雄のことは「小川さん」、「島尾さん」と「さん」付けで語っている。生存している作家には、ある種の「おもんばかり」が働くのだろう。吉本が大新聞に書かない理由も、文芸評論家が巨大メディアを通じて、他者を批判するのは公正ではない、という「おもんばかり」なのかもしれない。江戸川乱歩の「陰獣」と、吉川英治の「宮本武蔵」を取り上げているのも興味深い。「宮本武蔵」は純文学にない物語性を持った本格小説として、「陰獣」は大正デモクラシーのイメージを象徴する作品として評価するのである。
評論全体に感じられるのは、作家の倫理性を透視する、吉本の強い目線である。漱石の過剰で本格的な倫理性、武家社会の義理と倫理に対する森鴎外の関心、横光利一の古風な資質からくる倫理、高村光太郎のデカダンなわが身への自嘲、宮沢賢治の普遍的宗教観、岡本かの子の仏教者としての性意識、といった倫理性を近代文学の特性として摘出している。文学における「現代」は、そうした古風な倫理性が消えるところから始まる、ということかもしれない。(伊藤延司) --このテキストは、 単行本 版に関連付けられています。
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