学生時代、理科系は第二外国語としてドイツ語、文科系はフランス語を選択するのが普通であった(と思う)。現在は第二外国語の選択は大分様変わりしているようである。そして経済、人の流れのグローバル化にともない英語が世界の支配語となりつつある。最近の報道によると英語の第二公用語化や企業(外資系に限らず)の社用語(?)として英語の採用の動きもあるようだ。
水村美苗著「日本語が亡びるとき−英語の世紀の中で」では各々の国語で文学を書くのが困難になっていることが印象的であった。日本語は1億人もの日本人がいる限り今世紀中に亡びることはないと思うが。平川氏も本書の冒頭で読者に22世紀に日本語がどうなっているか問うている。考えてみるとこれは日本語だけの問題ではない。嘗て席巻したドイツ語もフランス語も夫々の国内だけで使われるのであれば日本語と同じ運命をたどることになる。
著者はこれから先のグローバル社会では、バイリンガルでバイカルチュラルな日本人が要請されることが明らかであり、さらに知的選良にとっては第二外国語をも駆使しうる「三点測量」可能な人材が求められるという。但し、日本人については第二外国語を日本語の古文や漢文を代用してもよいとのこと。
さて、前述の著者の「問い」であるが、日本という国家がなくならない限り日本語もなくならないだろう。しかし、日本語が残ったとしても英語から機械的に翻訳されたような言語となれば、空疎な日本語が残るだけである。我々凡人にとって(知的選良にとっても)、英語の習熟は必要としても、古文や漢文を勉強することが第二外国語よりも重要なのではないか。尊敬する平川先生の著書ではあるが、日本語を諸言語のなかで相対化してしまうような印象があることが気にかかる。