物理学者としての海外経験にもとづいた日本語論。より正確には、文化論やコミュニケーションのあり方にまで広げて論じたものといえよう。
「思う」「思います」という表現からスタートし、ディベートを重んじない日本の知的風土を憂い、論理的な議論の重要性を指摘する。しかしまた日本語にも論理性があり、穏やかさなどの長所もあるとする。しかしこれからは論理性・客観性が求められているとする。
基本的な主張としてはごくオーソドックスで、バランスも取れている。「日本語が使えないと英語も正しく使えない」などもっともな主張も多い。
しかし、「日本語は世界のいろいろな言語の体系の中でユニークな地位を占めていると言ってよいというのが、私の見るところである。(p91)」「優美に聞こえるのは、日本語の構文の形式が、英語、中国語ほかのほとんどの外国語のものと根本的に異なっているからである。(p188)」などいうのはどうであろうか。チョムスキーやサピア・ウォーフをあげておきながら、これはいささか詰めが甘いのではないか。文化的なことはさておき、言語としては日本語はごくありふれた、普通の文法を持つ言語である。英語や中国語ばかりが外国語ではないし、むしろこれらの言語は特殊な点が多いのである。そもそも、少なくとも活字レベルで「日本語は非論理的である」などという主張は今日ではあまりなされないのではないだろうか(茶飲み話、床屋談義などは分からないが)。