日本語はテレビ型の言語であり、西欧の諸言語は、ラジオ型の言語であるという認識が著者にはある。その対照性から、日本語における漢字の多層的な機能の重要性を説くくだりは圧巻である。
テレビ型、ラジオ型等の類型化は、音素、その他の具体的な事例に即して推論されており、強い説得力がある。さらに、その背後には、「文化(言語)における認識の仕方の違い」の洞察を支える観察眼がある。本書では「オレンジ色の猫」、「緑のリンゴ」のような例が挙げられており、面白かった。著者の事例を蒐集する際の、極めて具体的で、しかも周到な手続きが印象に残る。
「どこで生まれたのか、どのような教育を何歳までどこで受けたのかといった質問は、いまはほとんどの先進国ではタブーなのである。日本人には想像も出来ないほど、人々はこのような個人情報を他人に与えることを嫌う。」
さりげなく、このようなタブーについて記すことができる人は、稀である。このような記述に出遭ったとき、私には深い信頼が生まれる。
現在の主流の日本語の捉え方とは明らかに異なる。だが、この捉え方に接したのち、これを無視するのは難しい。それだけのインパクトがある。
日本語について考えているはずでありながら、いつしか、言語についての考察を超えた何者かについて考えている自分に気づく。それだけの射程が、この本にはある。