本書は、著者がこれまであちこちで発表してきたエッセイや評論、講演原稿を集めたものである。『続 明暗』・『私小説』・『本格小説』の著者自身による解説もあれば、若き日のフランス留学時代の思い出もある。加藤周一との思いがけない関係も披露されれば、『続 夢十夜』ともいえる「夢十一夜」にも出逢える。
私が女に生まれてよかったと感じるのは、水村美苗のような大人の女性が書く文章を読むひとときである。きっと男性には、ここまで心楽しく女性の文章を味わえないだろうとの、ささやかな優越感に包まれるのだ。本書でもとりわけ心に残ったのは、収録されている母・水村節子の『高台にある家』の「あとがき」の次の一文である。「『高台にある家』には私の手が入っているが、それは自ら進んでそうしたわけではない。(・・・)母が私の判断を全面的に信頼してくれたのもありがたいことであった。さらには、母が老いた母であり、私の娘ではないのもありがたいことであった。人は、自分の娘の小説に手を入れるわけにはいかないだろう」(p.201-4)
『日本語が亡びるとき』発表後に書かれた次の一文も忘れがたい。「褒められて晴れがましかったが、どこか不満であった。どこが不満なのか、ある日、気がついた。『女だてらに』と誰もいってくれなかったのである。今の時代、口が裂けても言えない台詞なのかもしれない。(・・・)本から解放された秋は、母から初めて永遠に解放された秋となった。母を懐かしいと思える日はまだ遠い。ただ、母なら本を手にして『女だてらに』と言っただろうと思う。今は是が非でも聞きたい台詞である」(p.222) 漱石を正面から論ずる作家の書く、母娘ならでは確執と甘えの入り混じった「女らしい」一文である。