評者は同じ著者の『
続 明暗 (ちくま文庫)』も推奨する。
本書には、「I 日本語で書くことへの希望」「II 日本近代文学について」「III アレゴリーとしての文学」の3章があり、16編の著作を集めてある。同時に発行された『
日本語で読むということ』が軽く読めるのに反し、本書の各著作は論文調で重い。
中でも第 II 章中の「見合いか恋愛か――夏目漱石『行人』論」「『男と男』と『男と女』――藤尾の死」(漱石の『虞美人草』を論じたもの)、そして、第 III 章の2編は、格別重い。
論旨にいささか疑問を感じる場合もある。一例は、「『男と男』と…」において、「たとえば藤尾の罪を説明しようとする試みは失敗せざるをえない」という文に続く議論である。著者は、『虞美人草』中の説明が論理性を欠くとし、それが作品の欠陥であるようにいっている。
しかし、アルベール・カミュは文学作品において不条理そのものを描いた。実社会にも不条理が多く生起する。このことから、小説に論理を求めても仕方がないのではないだろうかと思わされる。
第 III 章の2編は、どちらもポール・ド・マンについての評論である。ド・マンとは、デリダの影響を受け脱構築批評を確立したイェール学派の代表的存在であり、また、水村のイェール大学大学院での恩師で、彼が死去したのは水村の在学中だったようである。
そして、これらの2編は彼女の著作の中で最も若いときのものであるせいか、文章のいたるところに才気が感じられはするものの、評者は「もっと分かりやすい文で書いてはどうだろう」と思わずには読めなかった。
いささか手厳しい感想になったが、全体としては、一読していろいろ考える契機を与えられるよい本だと思う。