これほど面白い本は、そうざらには無いだろう。要約するなら、この
本の著者が論証して居る事は、神道は日本固有の宗教ではない、と
言ふ事である。例えば、スサノオと言えば、神道の中心的な神である。
だから、このスサノオなども、「日本固有」の神と思はれそうだが、
詳細に比較すると、このスサノオに関する神話の多くは、実は、西ア
ジアの牛頭神バール(Baal)の神話と、全く同じ内容の物なので
ある。そして、それを裏付ける様に、伊勢などで行はれて来た伝統行
事の一つ、蘇民将来の祭りは、ユダヤ教の過ぎ越しの祭りに内容が
酷似して居るのだが、こう言ふ諸事実をこの本は、非常に分かり易く
説明してゐる。著者は、こうした神話学的比較をふまえて、更に、大
化改新は朝鮮史に有った同様の出来事からの盗作ではなかったか?
或いは更に、司馬遷の「史記」は、古代西アジアの歴史の盗作ではな
いか?と論じて居る。この様に、他民族の歴史を言はば「盗作」して、
自国で起きた出来事の様に記述する手法が、古代、東アジアで広く行
なはれて居たと主張する著者(鹿島昇氏)は、これを「借史」呼んで、
古代東アジアで、歴史と言ふ物が、統治術であった事の現晴れだと論
じるのであるが、鹿島氏のこうした「借史」仮説は、実に魅力的であ
り、真剣な検討に値する物である。
鹿島氏の研究は広範囲であり、詳細な検証が必要だが、絶対に無視さ
れるべき物ではない。本書を強く推薦する。