書店で現代日本文学大系61巻を買い、いわゆる日本浪漫派の作品をいくつか読んだものの、それらの書き物がどんな風に戦時の翼賛として効いていたのかが想像しにくくて、その巻の解説にこの書物の抜粋があったのでAmazonで取り寄せて読んでみた。
この文庫では第一部で表題の論文を本編全七章と補論三章分収録し、第二部を「停滞と挫折を超えるもの」と題して八つの独立した文芸時評を収録している。もちろん目当ては第一部だったが、第二部の諸文章も第一部と論旨にかかわりがあり、読んでいて面白い。
第一部「日本浪漫派批判序説」本編では日本浪漫派の生まれる背景にも視線を配りながら、保田與重郎の文体にイロニイを読み取り、そのイロニイが示す世界観から啄木以来の「時代閉塞の現状」の継承を見出し、その出口としての国学的心情に権藤成卿らの日本農本主義との類似点と相違点を指摘し、現実に屈服した政治意識を美意識の中に解消していく耽美的パトリティズムで多くの支持者を得たのが日本浪漫派であったというとりあえずの読みでまとめている。
一転して補論は、本編最終章で保田與重郎と文体や当時の読者への影響で類似していたと指摘していた小林秀雄を取り上げ、マルクス主義文学批判とのかかわりで読まれた「私小説論」の読み替えを試みた論文と、日本浪漫派が台頭する直前の文学状況の点描、日本浪漫派と太宰治のかかわりについての小論という計三章が展開し、本編と同じぐらい読み応えがある。
第二部では第一部よりも軽いタッチの文章もあるが、石原慎太郎や大江健三郎や江藤淳などを俎上にあげ、歯切れの良い論が続く。日本浪漫派の活動と、それを等閑視しようとする近代文学の対照の下で当時の現代文学を論じていたのが印象的だった。
読み終えてみて、日本浪漫派を生み出した土壌はいまだに根強い、というかより肥沃になっているように感じた。啄木の「硝子窓」で書いた心情は今の若い人にも響いているだろうし、そこから日本浪漫派と同方向のヴェクトルを持った言説が生まれる可能性はあるし、農本主義的言説は根強い訴求力があるようだし、小林秀雄的な断言スタイルを好む向きも弱まっていないと思う。あからさまなきれいごとで現状が糊塗されてしまうと、これらの言説は説得力を増してくるのではないか。今の危うさを考えるのに効いてくるだろう著作。