2010年で83歳になる、日本の女性思想家の第一人者と呼べる森崎和江が、50歳近く年下の北海道大学准教授の中島岳志に自分の人生を語ったものです。
朝鮮半島で教員をしていた父の職業で、朝鮮半島で生まれ育った森崎は、終戦前の1944年までを朝鮮半島で過ごします。しかし1941年の女学校時代に書くよう指導された「国民総力朝鮮連盟」主催の作文が慶尚北道代表作として受賞したことが彼女の「原罪」となり、彼女はこの植民地体験に生涯をかけてかかわっていきます。
語りはとても平易で考え抜かれたことばで、とても読みやすい対談です。
彼女は日本に帰った時の第一印象は「小さな小集団というか、固まって暮らしていて、ちょっと異質な人間が来たら排除するのね。どうして同質で固まってなきゃいけないの?」というものでした。それは今も変わっていないかもしれません。
彼女の弟はそんな日本社会に疲労して自殺します。
森崎は戦後日本で盛んになったサークル運動に関わっていきます。彼女が参加したのは筑豊炭鉱労働者の自立共同体として1958年にスタートしたもので、その中で活躍した谷川雁と彼女の関係がユニークです。森崎は結婚し子どももいながら、谷川雁らとも生活しますが、谷川の家父長的な態度には生涯違和感を抱いたようです。
森崎和江のもとを訪れる人々も様々です。無名の人から、ボーヴォワール夫妻、竹内好、上野千鶴子など。
1968年に朝鮮半島への謝罪の旅をしてから、沖縄問題、からゆきさん、インドなど様々な問題に関心を広げていきます。
最後は孫が5歳の時に語ったという「今、地球は病気だよ」ということばへのこだわりで締めくくられます。
彼女の地に足をつけ現在を背負っての、日本理解の生涯はとても豊かで常に生産的活動にあふれたものだったのだなあ、と改めて思いました。