…だと思いますね。何だかんだ言っても、やはりこの曲の重みはすごいです。歌詞が即自分に跳ね返ってくるものだし、書けばそれだけ、その書いた内容が陳腐すぎて、書いた人間その人が恥をかく・・・そんな重みをこの曲集に感じるのではないか。それを承知で敢えて書かせていただきます。
「降りしきれ雨よ」の雨とは何でしょう? それは最後に「昇れ、昇り行け」と見送られる、私たちの魂ではないか? すべてのものをそのものに返す雨、つまり、我々の本来あるべき心を示すのではないでしょうか? だからこそ、あの「水たまり」もあるべき空を映そうとする。ささやかな、けれども一途な命。「海」にしてもそう。空の高みを(つまりは自身に存在する神の領域)を求めるのに、日々の生活の中でその純粋さを忘れる私たち。
けどね、どんな悪党でも、その心は上へ上へと行くんです。だって雪は「下から上へ」と降り積もるんですもの。
魂の昇天です、といったのは私ではありません。偉大なる指揮者、故木下保氏です。しかし、本当だと思わざるを得ないほどの説得力がここにはあるのです。
そしてその精神が『心の四季』につながるんですよ。下から上へ降り積もる雪、その雪の白さはあっという間に消えるから、「どこに純白なこころなどあろう」と。そしてそうした自らの魂を、作者は殺します。「真昼の星」として「静かに」。涙が出ますね。ここまで書いて、号泣ものです。是非、もう一度聞きなおしてみてください。参考までに『水のいのち』と『心の四季』は別作品と思わないで、通して聞いてください。そのとき初めて、この2楽曲の真髄が理解できると思うのです。
偉大なる作曲者 高田三郎先生に、合掌