本書は表題のテーマであらたに書き下ろされたものではなく、月刊「文藝春秋」の巻頭言を時系列で集めたものだ。本書には、2003年6月号から2006年9月号までの約3年分の文章が収められている。
いずれも時事的なテーマをネタに書かれた文章であるから、いまから考えると「ああ、そんな事もあったなあ」という感慨にとらわれる。本書に収められた文章は、私はリアルタイムではまったく読んでいなかたので、現時点で過去をリアルタイムに再体験する意味では面白い読書となった。
長年にわたって塩野七生の読者であはあるが、必ずしも熱狂的なファンではない私には、本書に収められた文章のすべてがすばらしいとは思わない。しかし、ときどき「おお、これは鋭い」と思えるような指摘があるので、結局最後まで読んでしまう。
なによりも、巻頭におかれたカエサルの名言は噛みしめるべきものである。
「人間ならば誰でも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと思う現実しか見ていない」(ユリウス・カエサル)
もちろん著者自身、このワナにはまる危険を十二分に意識しつつも、完全には逃れ得ないという自覚をもっているように思われる。そもそも人間がかかわる以上、それは避けてとおれないものであろう。
著者は自らを「歴史研究者」ではなく、「歴史家」であると自己規定している。事実関係を明らかにするのが歴史研究者であるとすれば、「人生で蓄積したすべて」を深く関与させて「文献をどう読み解くか」(P.200)が勝負の世界に生きているのは歴史家である。
現在では、インターネットで検索すればたいていの情報は入手できるというのに、人によってアウトプットに大きな差がついているのは、情報を解釈するチカラの差であるのだ。これは重要な教訓である。
『ローマ人の歴史』執筆がまさに終わろうとしている時期に書かれた文章を読んでいると、その後の「帝国」であった英国も、米国も、中国もローマ帝国とはまったく異なる存在であることが指摘されており面白い。
その意味では、専門家ではない著者の中国に対する「ものの見方」が非常に新鮮に感じた。中国人を「政治外交小国」と断じている著者の視点は専門歴史研究者にはできないものだろう。こういう文章を読んだ瞬間、読書のよろこびを感じるのである。