言うまでも無い事ですが著者はイギリス通です。
しかし、あくまでもイギリス通にすぎず、日本通という訳でも無ければ、ましてやアジア通という訳では無いという事が、内容に如実に表れています。
外国人が主張している事で、私は疑問に思ったが作者は疑問に感じていない部分があったりとか、戦後、外国から入ってきたものを日本古来の風習だと思い込んでいたりとか。
前者の一例は、あるアメリカ人曰く「日本の食べ物がおいしくて街並みが清潔だ、日本が欧米に限りなく近い価値観を持っている国だとわかった」の部分です。
江戸時代の日本は糞尿を堆肥としてリサイクルした仕組みが出来ていたのに対して、お隣の韓国ではソウルの大通りですら不潔だと、当時韓国を訪れた欧米の旅行者達の回想録に書かれています。
ちなみに、ロンドンも含めた欧米では汚物を窓から道に撒き散らしていたと聞いています。
著者は日本が他のアジア諸国と違っているのは欧米から積極的に影響を受けたからだと認識している様ですが、実際には日本の街並みは、既に江戸時代の段階で清潔だったのです。
後者の一例ですと、教育で「個性を根絶やしにする」と記述されている部分です。
内容に関しては基本的に同意する部分もあります。
ただ、根絶やしになっている原因は、(著者が褒めちぎっている)GHQの改革の一環である教育改革時に、共産主義者が教育現場に大量に流入した事なのですが、著者はこれが戦前からの日本の伝統だと勘違いしている様な気がしてなりません。
本書にある「運動会でみんなで手をつないで同時にゴール」というのは伝統を重んじる思想家達も問題として指摘しています。「戦前にはこんな教育は無かった」と。
「日本文化を維持しながらEUを見習って近隣諸国と連携」に至ってはジョークとしか思えません。
第二次世界大戦時のフランスみたいになるのがオチだと思いますが。
実際、韓国国内では、竹島どころか対馬まで自国の領土だと主張する意見を国会議員が主張したり、地方自治体で可決したりしています。
そういった国々と連携といわれるのは、どういうつもりなのでしょうか。
対馬を訪れる韓国人観光客達は、あの島を「本来なら自分達のものであるはずの島」という認識を抱いているのですが、対馬を取材した以上、著者はその事を当然知っているはずですがねぇ。
日本には、当の日本人が考えているよりも優れた部分が色々とあるという点については同感ですが、そのテーマで本を書くのは、あくまでもイギリス通である著者には、荷が重かったのではないかと思います。