著者は東京大学大学院総合文化研究科准教授。
明治から平成にかけて日本で英語教育がどのように受け入れられ、今どんなことが課題となっているのかを通史的に概観できる好著です。大学の研究者の著作はえてして専門的・衒学的な修辞法で一般読者を遠ざける場合がありますが、この著者はこれまで英語と日本人をテーマに平易な読み物を著してきただけあり、本書も英語教育を読者ひとりひとりが<私の問題>として引き寄せて読むことが出来る大変読みやすい書になっています。
本書によれば昨今の英語学習はもっぱらコミュニケーション重視の傾向を持ち、その一方で文法学習は一定程度で構わないという風潮があるようです。
しかし著者はその問題点を鋭く指摘します。
「日本人全員を中途半端なピジン英語(商売だけで通じる破格の英語)話者にするようなオーラル・コミュニケーション中心の授業ではなく、圧倒的な日本語の母語環境のなかでも効率よく教えられる基礎的な文法・読解中心の授業を行ない、あとは各自ご努力ください、というのがもっとも理に適った英語教育であろうと私は思う。」(205頁)
この主張に私は100%賛成します。私自身も日本国内で日本語の母語環境の中で英語を学んできました。日本の公教育の中で文法・読解中心主義の授業にどっぷりつかった上で、自助努力で英語を身につけました。振り返ってみれば、あれほど効率的で十全な文法学習がなければ、こんなに迅速に英語力を身につけられたとは到底思えません。
しかしこれまでの百年の日本の教育現場における英語教育の苦闘の跡を本書で読むにつけ、今後の百年間もまた日本は、著者のような主張には目もくれず、「英語が出来ない国民が多いのはなぜなのか」と(いたずらに)苦悶し続けるのではないでしょうか。
そんな暗澹たる気分にもさせられる書です。