既にイザヤ=ベンダサンというのは架空の人物だということが明言されているので、(なにせ著者名が『山本七平』)
ユダヤ人に関する個々のエピソードの正確さについてはあまり気に留めずに読んでいた。
本書はタイトルに反して(?)日本人論がメインであるので、仮にここに描かれたユダヤ人の話が、
全て氏の知識と経験に基付いた創作であったとしても、土台が崩れることは無いからだ。
とはいえ、本書で紹介されている事例に対する指摘があるならば見てみたいと思い、
amazonのレビューでもたびたび例に出ている「にせユダヤ人と日本人」という本も手にとって見た。
なるほど確かに山本氏は言語学や歴史学、神学の博士号を持っているわけではなく、本業は出版業だ。
なので、自分はそういった方面の専門家による怜悧な指摘が見られるものと期待した。
が、結果は肩透かしであった。著者の浅見氏の目的は、批評でも批判でもなく、
そもそも山本氏の否定であったようだ。私と同じ被害者が出ないよう、
読みはじめで「もういいや」と思ってしまった文章を、以下に引用する。
「先日書店でのぞいて見ると、イザヤ・ベンダサン著『日本人とユダヤ人』の文庫本(角川書店刊)が、
なんと五十三版か何かになっていた。英語版(以下「英訳本」ともいう)はいっぺんで化けの皮が
はがれてしまったというのに(一四三頁以下の《付録》参照)、日本人読者はどこまでお人好しなのだろう。
それとも、マユツバは承知の上で何かを楽しんでいるのだろうか。そうだとすると、その「何か」とは何か。
「ユダヤ人」から見ると、日本人はこんなに珍しい、そしてうらやましい民族である――途中は何やかや
言っても、結局はそういってくれる。決してしんそこから不愉快にされることはない。安心である。
そして最後は「こんな良い国を実力で守ろうとせず、再軍備も不要だなどと言うのは、ユダヤ人から見ると
おめでた過ぎますよ」という忠告である。要するにこれは、「ユダヤ人」にことよせた、新手の、
国粋主義、軍国主義へのすすめ以外の何ものでもない。」
(朝日文庫「にせユダヤ人と日本人」P13 はじめに)より。
このような反応は時代なのだろうか?山本氏の戦争体験に関する著書は
この時期まだ発表されていなかったのかもしれないが、
私の中の日本軍 (上) (文春文庫 (306‐1))などで示される
悲惨極まる軍隊経験と、氏の健康被害とを見れば、そのような発想はありえないと誰もが言い切るだろう。
そもそも本書を日本人に対する苦言や皮肉とは捉えても、日本人への称揚と受け取る人間がどれほどいるのだろうか?
これは、何もごく一部の悪態や放言をあげつらっているわけではない。引用部のような山本氏に対する
一方的なレッテル貼り及び曲解は、序文に限らず全編で繰り返されているのだ。
この偏ったものの見方と悪意は、全ての検証作業をカビのように蝕んでいる。もしこの本に
山本批判の足がかりを求めようものなら、かえって遠回りになるような代物である。
正直、今の時代になってなお「日本人とユダヤ人」にこういった類の本の名が付いて回るのは不思議に思う。