私たちの一般的な通念として、日本における資本主義の黎明は明治維新=文明開化以降としている。しかしながら、たとえば江戸経済史研究家の鈴木浩三氏によって、既に江戸時代、資本主義的な市場経済が実に巧みに運営されてきたことが明らかとなっているけれども(『資本主義は江戸で生まれた』日経ビジネス人文庫)、では一体、日本資本主義の淵源はどこまで遡及すればよいのであろうか…。
そうした問いに対する答えの一つが当書で示されている。「網野史学」として独得の中世日本観を披瀝してきた故・網野善彦氏は、本書において様々な実証的歴史研究の成果を踏まえて、「(日本の−引用者)資本主義の源流は遅くとも14世紀まで遡ってさぐってみる必要がある」(本文)としている。まさに「網野史学」の面目躍如であり、こうした課題提起を真摯に受け止めるべきであろう。
資本主義の前提となる「贈与互酬の世界から貨幣流通への転換」(故・阿部謹也氏)を考究した論述としては、岩井克人氏の『ヴェニスの商人の資本論』などがあるが、本書では「市庭(=始原的な市場)」の成立と並んで、「出挙(=原初的な金融)」の問題についても興味深い見解を提示している。それは、具体的には「利息」の位置付けであり、「利息」を「神に対する御礼」(同)としていることだ。
つまり、日本中世の初期にあっては、「金融という行為」は「神仏との関わりなしには成立し得なかった」(同)という指摘である。「利息(利子)」を取るという行為は、イスラム教では厳禁とされ、ユダヤ教では同族以外には高利をもって金を貸すことを奨励している。「金融」と「宗教」…。一見、無縁そうにみえる二つの行為には、密接不可分の関係性が存在することを日本中世史は教えてくれている。