レビュータイトルは第一部三者鼎談(大野晋、森本哲郎、鈴木孝夫)の締めくくりでの鈴木氏(言語社会学者)の発言をそのまま頂戴しました。
まったくそのとおりで、身近な衣食住にはじまってもう少し大きな政治、経済、文化、果ては日本列島をとりまく気候風土に至るまで、日本列島の住人のすべてが日本語に詰まっています。つまり、この言語で我々は身のまわりの森羅万象を表現しています。
問題はまさに「中核価値」の中身や水準にあるのでしょう。
この点について、森本氏と鈴木氏は現状悲観的。大野氏だけが条件付きで希望を残しています。そして、その条件が日本人が日本語に取り組む姿勢の中にあるとの主張には勇気づけられます。
『文明が力を持つために大事なことは、やっぱり、ものをよく見るということじゃないかと思います。感じるのではなくて、見る』『物をよく見て、構造的に体系的に考えをまとめるという習慣を養わない限り、日本人はこれからの世界を生きて行けない。一瞬の美を感じて和歌や俳句を作っているだけでは、間に合わない。行政でも会社運営でも、事実、真実に対して謙虚に論理的に見抜く習慣を養わないと駄目だ』(本書p38から)
何やら文明開化の時期に福沢諭吉や大久保利通が国民の実状を前に夜中自室で一人呟くのを耳にしているようですが、150年後の今、まさにもう一度省みて姿勢を正すべきときにきているのでしょう。
しかし、これならば努力して実践できます。無理無体な条件では決してない。主導権はいまも、我々の手中にあるのです。