本書で取り上げられている文化人の分身たちは、あらゆる分野に入り込んで文化まで書き換えようとしている。わたしは名古屋北部のK市で働いているが、その市役所に出向いたとき、「ジェンダーフリーかるた」の展示をやっていたので覗いてみた。市の男女共同社会参画推進室が製作したもので、このかるたを児童教育に役立てるのだそうだ。
かるたの文句をご紹介しよう。「男の子は赤を好む」「お父さんは縫い物が上手」「学芸会、浦島太郎は女の子」ざっと、こんな調子である。わたしはあきれ果てて言葉もなかった。
これはあきらかに性差を否定しようとするイデオロギーではないか。それを子供たちに植え付けようとしているわけである。最新の大脳生理学の研究成果によると、男女は赤ん坊の頃からホルモンの作用で、脳の働きが違っているのだという。そういう科学研究の成果さえも無視している。もちろんどんなイデオロギーを信じようと勝手だが、市民の税金を使ってなぜ普及を図る必要があるのだろうか。いったい誰が許可したのか。もちろんこんな真似をやっているのは、ここだけではあるまい。国の機関が旗振り役をやっていて、地方自治体は素直にその政策に従っているだけなのだろう。
わたしは大げさなことを言うつもりはないが、よく考えていただきたい。浦島太郎が女の子でいいのなら、かぐや姫が男の子でもおかしくあるまい。しかしこれは、日本の文化遺産をイデオロギーで書き換えようとしているのではないだろうか。正気を失っているとしか言いようがない。「男女平等」とは法の前の平等を意味し、男女は同一であるという意味まで含んでいない。それを勝手に拡大解釈して押し広げて普及させようというのが、ジェンダーフリーの本質である。
地方自治体や教育委員会の関係者に伺いたい。こんなイデオロギーを広めると社会がどうなってしまうのか、真剣に考察した上でおやりになっているのか。大多数の人たちがそうだとは思えない。それほど深く考えもせず、予算を取って上からの指示通りに動いているだけなのだろう。これは異常かつ非常事態だと思う。この流れを放置しておいてよいのだろうか。