明治の黎明期から大正末の成熟期まで、日本の近代小説が成立するまでの過程がコンパクトに解説されています。
著者の 『風俗小説論』 が絶版となっている現在、本書は中村光夫の評論家としての力量を垣間見ることのできる、数少ない代表作のひとつといえます。
本書が出版された (1954年) 当時、志賀直哉や武者小路実篤、それに谷崎潤一郎など、本書で扱われている大家はまだ存命していました。
そうした状況のもと、歯に衣着せぬ態度で批評の筆をふるう著者の文章には、一種の迫力と緊張感があります。
たとえば白樺派を総括するとき、著者は彼らを特権階級の子弟であるがゆえに 「生活の余裕と思考の自由」 が与えられていたと述べ、その限界を次のように指摘しています。
彼等の主張した個人主義、人道主義は、実際には個人趣味、人道趣味といった方があたっているもので、彼等の芸術の生長が早熟なかわりに早く停止してしまったのも、 (昭和になり、わが国が戦争に捲き込まれて行くにつれ) 彼等がまったく社会に背を向けるようになったのも、根本においてはこの思想的基礎の欠如にもとづくのです。
本書における近代文学の解説は、芥川竜之介の自殺によって閉じられます。
有名な谷崎潤一郎 (饒舌録) との小説論争を取りあげ、芥川の小説家としての崩壊を、彼が小説の 「話」 としての仮構を信じられなくなったことを原因としてあげています。
一方、社会的に見たとき、芥川の自殺は、大正期というひとつの時代の終末を示すものとして、彼の嫌った乃木大将の自殺にも匹敵する意味を持っているとも指摘します。
このことは、著者が序文でも述べているとおり、その時代精神の表現として、小説が明治以来の日本人の精神と生活のもっとも偽りの少ない鏡だという事実を示しているようにも見えます。