米を語る。それは水を語ること、緑を語ること、土を語ることであり、相撲をはじめとする民族文化を語ることであり、日本文化の土台と特性を語ることであり、「地方」を語ることであり、地球環境を語ることであり、そして、日本人のアイデンティティを語ることであった―本書p.222
私は、当著を『
水と緑と土』(中公新書,1974)、『
水の文化史』(文藝春秋,1980)と並ぶ、富山和子さんの日本における《水の文化》シリーズの代表的著作と位置付けており、当書を含め、これらの作品を《水の三部作》と呼んでも間違いはない。事実上のデビュー作と言って良い『水と緑と土』で、富山さんは「水と緑と土は同義語である」と断案した。次の『水の文化史』では、「川」を通して日本の歴史を振り返っている。この著書では「水(=川)と緑(=森)と土」によって育まれた「米」に焦点を当て、日本の歴史と文化を語る。
水と緑と土―それらを宇沢弘文東大名誉教授の説述する「
社会的共通資本」と措定しても良いだろう。その日本人にとって実に大切な「社会的共通資本」によって産み出される米こそ、まさしく「水と緑と土」の申し子であり、実際、「第一に、栄養価が高く、栄養バランスにおいても優れ」「第二に、生産性の高い作物であり」「第三に、長期間の保存に耐え」「第四に、おいしかった」(本書p.19)。そして、「水との緊張関係の文化=水をコントロールする文化」は稲作とともに始まり、二度にわたって「列島」の大改造も行われた。
「二度にわたる国土改造。その最初の改造は稲作開始から律令国家の成立、条里制に至る、長い時代であり、第二の改造は、室町末期から江戸中期にかけての、治水と新田開発の時代であった。この大事業によって、今日の日本列島の姿が、ほぼかたちづくられる」(同前p.35)のであった。まさに日本の「土地というものは米が作った」。「まことに絶妙な水のコントロールの上に浮いている島。それが現在の日本列島の大地」(同前p.109)だ。私達は“水との緊張関係にある文化”というものに思いを馳せる必要があろう。