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7 人中、7人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
該博な知識と斬新な視点,
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レビュー対象商品: 日本の無思想 (平凡社新書 (003)) (新書)
日本を「了解の共同性」と捉え、そのような社会においてはタテマエとホンネを適当に使い分けながら生き延びることが重要であり、真実だとか信念だとかは二の次になるという話から筆者は始める。そこでは、二枚舌や二重構造も当たり前のように存在し、人々は何が本当で何が嘘かということに関してはたいして興味をもたなくなる。重要なことは、そういうニヒリスティックで日和見的な社会では、個人から生まれる切実な信仰や思想が育たないことである。そして、ついには、言葉は何の力ももたなくなるだろうと筆者は警告する。たとえば、「踏み絵」で命を落としたキリシタンを理解することは、そういう人々にとってはまったく理解不能な事件だろう。 そして、アーレントの話へとつながってゆく。「言葉が!!死ぬと、人間から公的領域というものが消える、公的領域が消えると、生きることの意味が消える、その結果、人は、単一なものに対する対抗原理を失い、最終的にはある種の全体主義を呼び寄せてしまう」。考えられたことは必ず発語されなくてはならないのだ。 該博な知識と斬新な視点があいまった筆者独自の知の快楽を、廉価な新書版で楽しむことができるのはありがたい。読みながらこれだけ楽しめる思想家はそう多くはないのでは。
17 人中、14人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0
保守の仮装を纏ったラディカル,
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レビュー対象商品: 日本の無思想 (平凡社新書 (003)) (新書)
第一章「戦後の嘘」の話は面白いです。ホンネとタテマエ、というところから、日本の思想についてどういう風に語っていくのかと思いきや、第二章、第三章と進むにつれて面白くなくなります。というのは、読んでいて、「公と私」の話題になると必ずといっていいほど引用されるアレントの読みがアマい、とか、やはりこれはキリスト教圏の議論であり、輸入され変形された疑似民主主義が跋扈跳梁している日本にはカントにせよヘーゲルにせよ適応不能だろう、という感がだんだん強くなってくるからです。ところが、第四章になると、その面白くないと感じた理由がはっきりします。それは、著者自身もわたくしと同じようなことを考えていたことがわかるからです。西欧の啓蒙主義の延長上にある議論をそのまま日本で主張しても説得力がない、と著者は言います。そして、その打開策として、伝統文化のひとつにヒントを求めようとします。 著者の主張は一見保守的に見えて、実は日本の思想をラディカルに変革しようとする意図を秘めています。その意味では、著者を右にカテゴライズするのは誤読というものだと思います。
20 人中、16人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0
ホンネは本当じゃない,
By カスタマー
レビュー対象商品: 日本の無思想 (平凡社新書 (003)) (新書)
タイトルは日本の思想・宗教史のようであるが、中心となっているのは、タテマエとホンネという日本独特の思考構造の分析といってよい。著者は、一般の通念に反し、ホンネが本心や信念とは全く違うものであるという。ホンネとタテマエはセットになってはじめて意味をなすもので、「どっちでもいいや」という投げやりやニヒリズムに基づくものである、との指摘は卓見である。結果的に、本心や信念を持つことの放棄となっているわけだ。こういった卑屈さやニヒリズムは、近代に入って怪しげな「公」の概念が信じられてきたことにも一因があるとされる。福沢諭吉の「立国は私なり、公にあらざるなり」(「痩我慢の説」)という言葉が取り上げられ、真に「公的なもの」の確立には、本心や信念としての「私情」がベースだということが論じられる。本書は様々な卓見を含んでいるが、著者自身も言うように、確かに文章は分かりにくい面がある。博識のため話題があちこちへ行き、文脈がつかめず主旨がぼやける部分がある。例え話まで分かりにくい。よい内容なだけに、やや残念である。
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