本書は意気込みとして「深層文化」という名文句を使っている。稲(米)の文化が表層文化で、粟の文化が深層文化か、ということになりかねない。穿ちの評価ができないではないが、謙虚に落穂拾いと言っておくのがいいのかもしれない。イネ一辺倒で見てきた従来の常識に警鐘を鳴らすものかどうかは、著者自らか言うことばではなく、第三者の評言であるべきだろう。
内容については、これまで見落とされた視点で、陽の目をみなかったもの、人ならば「在野の逸物」に目を向け、人材の発掘に類している。「野の役割を見直す」という第3章が百ぺーじにわたり本論の中軸となり、野に関わる古今の事物を網羅しようとする意欲が見られ、総花式ながら参考になることが多い。本書のタイトルにするには、地味ながら、もともとこれらの野にあるものの価値を見出す姿勢というものは、地味でいいのだろう。「やはり野に置け蓮華草」役に立つことが満載されているから、いずれ必要に応じて再びひもとこう。「野」のつく地名など必ず役立つと思っている。