1950年という同じ年に生まれて同じ大学キャンパスで学生時代を過ごしていながら、この対談が始まるまで会うことがなかったという二人。一方は早熟の物書きで、他方は遅咲きの物書きという違いはあるが、ともに現在売れっ子の著者二人の顔合わせによる対談は、意外や意外、じつに興味深い内容だった。最初の対談では合気道六段の野人派・内田樹の前で、中沢新一がややおとなしく見えるのもなんだかご愛敬だ。
基本的に、内容は日本の「国ほめ」が中心になるのだが、「3-11」後になされた対談では、コインの裏側にある日本の弱点についても語られることになる。わたしにとってもっとも関心が高いのは、第三章のユダヤ人との比較だ。同じ「辺境の民」という構造的共通性をもつユダヤ人との比較で浮かび上がってくるのは日本的思考の特性である。ユダヤ的一神教に基づく思考のあり方には二人とも憧憬の思いは隠さないが、二人がともに尊敬する人類学者レヴィ=ストロースもまた、ユダヤ的思考を体現したユダヤ系フランス人である。
「辺境ユダヤ」と「辺境日本」。中身はまったく異なりながらも、世界に置かれている状況がきわめて似ている二つの民族。日本にあってユダヤに欠けているものはこの対談で明確になる。それは、農業へのコミットメントだ。読んでいて、「日本文明の世界への貢献といえば、北米と南米における日本人移民による農業技術移転にある」と南米移民を前にして語った梅棹忠夫の話を思い出した。本書で語られるさまざまなテーマは、日本人にとっての農業の意味について多く語られているのだ。
本書に収録された対談や鼎談を最後まで読んでいくと、結局は「辺境日本」に生きるわたしたちは、みずからの強みを自覚し、徹底的にみずからを掘り起こす作業をするしかないのかもしれないという気持ちにさせられる。いろいろ好き嫌いの分かれる著者たちではあるが、近代資本主義が行き詰まりを見せている現在、こういう視点でものを考えることも何かのヒントになるのではないかと思う。一読をすすめたい。