経済学者のミルトン・フリードマンは、「政府にサハラ砂漠を任せれば、5年以内に砂が不足する」と官僚組織の強欲を皮肉った言葉を残した。
本書を読み終わって、このフリードマンの言葉にすべて集約することが出来ると思えてしまった。
私は、フリードマンのマネタリズム理論がすべて正しいとは信じていないが、この官僚組織の強欲が政権を取り込むシステムが日本の政治に当てはまるから比喩として書いたのである。
著者が日本の危機的な情況を訴えているが、長年にわたり政権与党を取り込みながら立法を陰で支配してきた官僚内閣制に起因していたのだとの論旨は、今更目新しくもない事実を確認しただけであった。
ただ、著者が小泉政権は間違っていなかったと擁護することには異論がある。
時系列で小泉政権下での負の遺産も今顕在化していることなども考慮しなければならないのではないか、例えば本書でも取り上げていた医療制度の問題や年金問題などは、小泉政権下で政策としてどのように対処されてきたのかなどである。
そして今次の東日本大震災での原発事故なども、小泉政権下で原発に対しての危機管理などで何が行われ、何が行われなかったのか?などである。(本書は、昨年出版されたから、地震対策では的を得た提言がされていたことは評価できるが、原発不安までには言及していない。)
小泉政権政策が間違っていないなら、その後を引き受けた、安部、福田、麻生、政権が何故短い期間で頓挫してしまったかなどにも触れて検証してほしい。
また、著者が提言する教育問題についても異論がある。
「日本の教育を考える」の章で、日本にだけ太平洋戦争の責任があるような自虐的な教育はやめてほしいとの文脈で書かれていたが、それならばもう少し正確に近代史を教えなければならないと思う。
欧米列強がアジアに殖民地を確立してきたことから、日本も危機感をもって同じ土俵で戦い始めたのが真実だからである。
”勝てば官軍、負ければ賊軍”の諺のごとき東京裁判は、日本国民にとって屈辱であったと思うが、戦後たった7年でサンフランシスコ平和条約を結び、曲がりなりにも独立国家となれたのは、この東京裁判を容認したことが基になっているからである。
著者が悔しそうに歴史を語るならば、何故日本が戦争に勝てなかったかを検証するような教育をしたら良いのではないかと提言したい。
軍服を着た官僚国家がどのような歴史を辿ってきたかを、現代日本の政治や官僚システムなどと対比したら、そこになにか透けて見えてくるものがあるような気がする。
著者の訴えることの多くには、この国を憂う気持が切々と伝わってはくるのだが、ただ不安を煽ることに終始しているような感は免れない本だと思えた。
何故なら不安を解消するような説得力のある処方箋が本書に提示されているとは思えなかったからである。