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154 人中、132人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
丸山真男は全然「古くない」、そしてそれは「不幸」なことである。,
By kurubushi "読書猿" (京都) - レビューをすべて見る
レビュー対象商品: 日本の思想 (岩波新書) (新書)
困ったことに、丸山真男はいま読んでもぜんぜん「古くない」。これは丸山真男のもちろん「エライ」あるいは「正しい」ところだが、「不幸」あるいは「無益」なところでもある。 丸山真男は「日本(の知識)人はバカだ。そのバカのパターンはこれとこれとこれだ」というのを、実にわかりやすく書いたのだが(もちろん彼はそういうバカはもうやめにしようとして書いたのだ)、いろんな人が、つまり日本の知識人たちは、「バカとはなんだ、バカとは」と、この丸山真男をいろいろと批判した。もちろん、「当たってる」ことを「わかりやすく」書いたので、随分と賛同者やファンやエピゴーネンも現れた。 「不幸」あるいは「無益」というのは、丸山真男がそう言ったのはずっと昔のことなのに(この新書は1961年に出てる。しかも丸山真男が直接扱ってるのは日本の戦前の思想家たちである)、あいかわらず日本(の知識)人はバカだからである。しかも、その「バカのパターン」は、あいかわらず丸山真男が『日本の思想』に書いたもので出尽くしてる。だからこの本は、「日本の思想」と名乗る権利が(今でも)あるのである。 丸山真男に向けられたたくさんの反論も、のこらずその「バカのパターン」を繰り返していた。それどころか、丸山真男に向けられたたくさんの賛同も、のこらずその「バカのパターン」を繰り返していたのである。
54 人中、47人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
雑感2点。,
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レビュー対象商品: 日本の思想 (岩波新書) (新書)
既に多くのレビューが書かれているので、ここでは2点だけ雑感めいたことを。1点目は、昔の新書は難しかったのだなぁということ。最近の新書はすっかり雑誌化していて、平易な反面で内容の薄いものが大半だが、本書、特に第1章と第2章は、その抽象度の高さと論理展開の複雑さという点で、手加減無しに難解である。一読了解できる人がいるとすれば、相当頭のいい人に違いない(私には到底ムリ)。1961年の初版以来、80刷を超えるロングセラーとなった本書だが、読者のうち少なくない部分は、実は第3章と第4章の講演部分しか理解していないのではないかという疑いを抱かずにはいられない。 2点目は、丸山真男の釣り師性ということ。「あとがき」に書いてあるが、本書第1章の一部記述は、当時の文学者の神経をひどく刺激したらしい。というのも、(おそらくは東大を念頭に置いて)文学部出身者の法学部出身者(典型的には官僚)への劣等感が、日本文学の「抽象的・概念的なものへの生理的嫌悪」を生んでいると論じたからである。本書に限らず、丸山の著書には他人のコンプレックスを逆撫でするような記述が最低一箇所は含まれている。洞察力鋭敏な丸山が気付かずやっているとは到底思えないので、きっとわざとなのだろう。いや、間違いなくわざとだと思う。
7 人中、7人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0
せめて「現状肯定」圧力に自覚的でありたい,
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レビュー対象商品: 日本の思想 (岩波新書) (新書)
丸山真男の言う「日本における思想的座標軸の欠如」。それがゆえの「超近代と前近代とが独特に結合している日本の『近代』」はそのまま「現代」である。なにもかわっていない。先の民主党党首選を見ていそう思った。1961年に初版が出た本である。それから半世紀たっているが、本書の「日本人の思想」に書かれていることは、古びるどころか妥当性を増している。「何かのきっかけで論争がはじまると、前の論争の到達点から出発しないで、すべてはそのたびごとにイロハから始まる」と丸山が指摘しているように、マニュフェストだの政見放送だの国会演説といった主張は、原理原則でもミッションでもなく、その場しのぎの空虚な言葉の羅列になっている。「断片的な思いつきを過度に尊ぶ『オリジナリティー』崇拝がととくに評論やジャーナリズムの世界で不断に再生され」ているという指摘もそのままの日本にあてはまる。こうした言論の軽さ、思想の薄さは、西洋の思想や哲学がそのまま、あるいは部分的に日本にもたらされ、それが日本人の「手持ちの思想的ストック」にたまたますぽっとはまったものだから、葛藤することも消化することもなく受け入れられてしまったという事情による。丸山はそう分析している。それは古くからの日本的感性や慣習といったものがいきなり規範と結びつくことにほかならず、これは「うまれついたままの感性の尊重と、他方では既成の支配体制への受動的追随となり、結局こうした二重の意味での『ありのままなる』現実肯定しかなかった」。 どんなに酷い総理大臣を戴いても、選挙の公約がまるで守られなくても、国民の命にかかわる情報を隠蔽していても政権を揺るがすほどの批判も運動も出てこないのはこの現状肯定の呪縛がまだ解けていない証拠だろう。戦前の日本では、国のかたちをきめるべき思想的骨格がないところにおおいかぶさってきたのが国体という「非宗教的宗教」だったが、戦後の日本ではそれが自民党一党支配、官僚機構、経済成長信仰にとって変わっただけではなかったのか。敗戦以後、最大の危機の渦中で国を率いる人間をよくわからない基準で選ぶという茶番を傍観しているしかなかった私たちは、少なくともこの国の「現状肯定圧力」の異常な強さに自覚的でありたい。
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