「エネルゴロジー」「キアスムの構造」「リムランド文明」・・
相変わらず新しげなコピーを作り出して(あるいはどこかから
都合良く取って来て)、実は単純な話を、さも複雑で中身ありげに
見せかける才能だけは、見事なものだと思う。
本書の目立った特徴として、「構造が似ている」だけの現象が、
いつの間にか「まったく同じ構造を持つ」ことにすり替えられて
しまうことが挙げられる。一神教、資本主義、原子力発電の間に、
強い類似性が見られるのは確かだとしても、同時に存在するはずの
差異についてはほとんど触れられないまま、それらをひたすら
「類推=アナロジー」でつなぎ合わせることだけで叙述が展開して
いくので、華麗なレトリックがかえって逆効果を生み出しており、
どこか根本的に胡散臭いという印象を拭い切れないのだ。
ちなみにこの書き方は意識的なもののはずで、本書pp.91-92では、
「人間の心はアナロジーの機構によってつくられている。(中略)
矛盾のない、明確な概念だけを組み合わせて、私たちは思考していない。
具体性の世界はインターフェイス構造を働かせながら、つくりだされている。」
と述べられているが、この言い方には問題が2点あると思う。
ひとつは、これは本質的に「ブリコラージュ」の思考法であり、
中沢自身が内田樹との対談で、「日本人はブリコラージュで原発事故に
対応しようとしたがうまく行かなかった」と、やや揶揄的に述べていること。
もうひとつは、本書が公共圏での議論を目的として書かれている以上、
まずはやはり明確な概念だけを組み合わせた言説を提出すべきであり、
用語の定義も曖昧なままいきなり跳んでしまう中沢のやり方は、明白な
ルール違反だと思われること。(あらかじめ逃げ道を残しているようにも見える。)
それ以外では、以下のような点も気になった。
仏教についての思想的掘り下げがほとんどなされないまま、
・一神教の超越的原理を否定して、「中庸」を重んじる。
・どこの世界でも神道のような自然宗教と折り合いがいい。
という2点だけから、来るべきエネルギー技術に対応する叡智である、
と唐突に持ち上げられていること(pp.66-67)。近年の中沢の著作では、
仏教の歴史性がほとんど無視されているが、そのような仏教は、
中沢にとっての「統整的理念」としてしか存在しないように思われる。
日本文明について、「このリムランド型の文明は、グローバル経済や
原子力発電とは、もともとが異質な本性を持っていたのである」(p.97)
とされるが、資本主義が誕生した北西ヨーロッパもまた、地政学的には
リムランドにあたるはずで、そのことを一切無視したまま「日本の進む
べき道」を提示されても、残念ながら納得するのは難しい。