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であるから、本書で扱う「竹内文書」「秀真伝」「東日流外三郡史」などという、怪しげな歴史書の名前も知っていた。
そして、これらが一般には偽書といわれており、ちゃんとした学者は認めていない本であることも知っていた。
たとえば、キリストの墓が青森県戸来村にある、という話。
義経=ジンギスカン説と並んで、オカルトファンなら知らぬもののない、大変に有名な話である。竹内文書に書かれている話である。
ストーンサークルがあったとか、日本最古のピラミッドがあるとか、東北民謡が実はヘブライ語だったとか、いろいろな周辺の話も豊富にあって、とても不思議で夢のある話だった。
ところが、本書はその竹内文書を、完膚なきまでに打ちのめす。
面白いのは、書かれている事柄そのものが科学的か非科学的か、証拠があるかないか、という観点だけではなく、いつごろ、どういった経緯で世の中に出てきたか、そのことに誰がどのように関わったのか、という観点で詳細に分析を行っている点である。
偽書は贋作者の創作物というだけではない。一新興宗教のでたらめな経文=竹内文書が、昭和初期の軍国主義へと向かう時代の中で、果てしなく膨らんでいったように、偽書が信じられる背景には、それを必要とした時代がある。その観点では、いわゆる「都市伝説」といった類のものと似ている。
現実にはありえないを信じてしまうのは、それを信じたいと思う気持ちがあるからこそである。キリストどころか、モーセ、釈迦、孔子、老子、マホメットにいたるまで神道を学びに日本に来ていた、とか、日本の神々がUFOに乗って世界中を巡幸したとか、そんなことは事実であろうがなかろうが、どっちでもいいのである。普通に幸せに暮らしている人には何の意味も持たない。
裏を返せば、思うようにならない現実があるからこそ、漠然とした時代への不安があるからこそ、偽書が生まれ、都市伝説が生まれる。オカルトもまた、この文脈でしか存在し得ないものだったのだ、といまさらながらに気づく。
若い頃のあわい幻想は見事に打ち砕かれてしまったが、オカルトにさしたる興味もなくなってしまった今、たいしたショックもない。
それよりも、あの頃どうしてあんなにオカルトを求めたのか、若い頃の自分は何を求め、何から逃げていたのか。むしろ、そちらの方が気になっている。
どういう内容が書かれているのか。... 続きを読む
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