伝統を徹底的に見返す―。それがこの著書「日本の伝統」の目的であると岡本太郎は言う。
古いものをカサにきて現実を侮辱する事を、岡本太郎は非伝統的であり、人間として卑怯なのだという。
そういう気分に対する憤りが、岡本太郎にはあった。
岡本太郎は、法隆寺の失火による壁画焼失のことについて、「法隆寺は焼けてけっこう」だと言う。そして岡本太郎は、「自分が法隆寺になればよい」と言う。
焼けてしまったのなら嘆いてもしょうがない。それよりも、法隆寺よりもっとすぐれたものを作ろうという気迫が大事である。そしてそれを、現代人が穴埋めすればよいのだ―。
私自身、伝統文化というのは基本的に守っていくべきものだと思っている。だが、こうした岡本太郎の指摘は貴重であり、示唆的なのだと思う。
私なりに解釈してみると、「伝統の存続」は必ずしも、「精神の存続」とはならないというわけだ。本来大事なのは後者であるという事だと思う。
そして岡本太郎自身が「法隆寺はやけてけっこう」の心境に至った理由は、端的に言って、いい気な伝統主義者を嫌った、と察せられる。
“過去は現在が噛み砕き、のりこえて、われわれの現実をさらに緊張させ輝かすための契機であるにすぎません。現在が未来に飛躍するための口実なのです。つまり、かんじんなのはわれわれの側なので、見られる遺物ではない(60頁)”
本書は、私にとって大いに示唆的だった。こうした伝統の見方があるのだと、そう思わせられた。
伝統とは何か。その事に、視点を提供してくれる本なのだと思う。