古典をどう読むか?著者も言われる様に、日本の古典とは、例えば高校で古典文学の授業で読まされる物には、その真の読み方を知らず、唯だ、試験の為に相も変らぬ、文法や古語の記憶に終始し、古典の持つ真の迫力を知る事無く終わってしまう。こんな無味乾燥な授業しか体験の無い生徒は、方丈記と言っても、やれ、「行く川の流れは絶えずしてもとの水にあらず、淀みに浮かぶうたかたはかつ消えかつ結びて・・」伝々で、現在とは関係の無い記録として通過してしまうのが常であろう。
だが、しかし本気で読んで見たまえ、何と緊迫感にあふれた文章であろうか!彼の描く様々の災害・飢饉・大風・大水・などは、彼の若い頃に見た記憶であるが、何十年も前の情景を、実にリアルに、リアリステックに描き出す文章は、只者ではない。京の町が炎で灰燼に帰す、合流火災の凄まじさは、東京下町を焼き払ったアメリカ軍の無差別爆撃の恐怖と、重なるものを思い起こさせるだろう。鴨長明は音楽、特に琵琶の名手であったという。文章の素晴しさは、彼の美的感受性の反映であろうし、この大いなる過酷な事態は、トテモ、はるか遠い時代の事とは思えぬのである。いつか我々に襲い掛かる災害が、この長明の描く世界とそっくりの地獄を作り出す事は、大いに有ると思ったほうがいい。人間は、そこで果たして、如何なる振る舞いを為すのであろうか?
堀田善衛氏のこの本「方丈記私記」は、古典である「方丈記」を「同時代」の事として読むことを教えている!「同時代」として読んだ時にこそ、この本の本当に恐るべき真価が理解される。堀田氏は、方丈記を敗戦間近の東京大空襲の記憶と重ね合わせた、同時代ドキュメントとして読み、当時の鴨長明氏の心境まで髣髴とさせる程の、素晴しいものとされている。おそらく、このような事態は、仮に、東京大震災、東海大地震、などが、起こった際には、当時と同じ地獄絵図として、繰り返されるに相違ない。
有名で有りながら、真髄が多くの人々に知られる事の無かったこの古典を、画期的に解釈する「方丈記私記」は「方丈記」と共に、高校生に是非読んでほしい本なのです!それは、惹いては堀田善衛という、極めて個性的で、類稀な、良質な作家を知る機会にも成ると思うからです。