桜を和歌を通して日本人の精神の変遷をたどる「桜の精神史」の続編。前作が時代の流れに沿って全体を展望していたのに対し、この本では桜に魅せられた歌人(西行、兼好、世阿弥、本居宣長など)にスポットライトを当てている。
ここで紹介されている歌人達は幸福な幼年期を送っていない。芸術家って意外とそうだよね。屈折した精神状態が芸術の世界へ向かうことが多いのだろう。しかし、それでも桜に関しては古代から文化的に日本人は思い入れがあり、古代から平安にかけて桜花「感」として確立されていく。さらに鎌倉、室町と成熟化して桜花「観」へと変貌を遂げるのだと著者は述べている。この民衆レベルでの精神の昇華があればこそ、桜へ魅せられることへの下地があり、またその歌が民衆に受け入れられる。
所詮、和歌って花鳥風月を入れてるだけじゃん、という冷めた見方も世の中にはある。著者はこの花鳥風月に対して、平家の没落と仏教の無常感により打ちのめされた日本人が求めた癒しの対象であると、説得力のある説明をする。
前作では踏み込まなかった桜と戦争との関係も頑張って踏み込んでいる。平和な江戸時代から暴力的な近代国家の時代に踏み込んだ明治維新以降、単なる民衆を国民に変化させねばならず、いきおい桜も教科書や武士道、軍歌と関連付けられたという。この過程で桜はやはり日本古来の和歌とともに、日本の象徴であり癒しの対象になったのではないかと私は思う。
日本以外の国では軍人の階級章に星が使われている。しかし、日本の自衛隊の階級章は桜なのだ。他国との会話では3つ星の階級をスリースターとか呼ぶが、形はあくまでも桜である。日本を守る意志と精神の拠り所が桜なのだろう。イデオロギーや西洋の近代思想が表層を覆っていても、日本が日本である限り日本人の精神世界の根元から桜が消えることはないだろう。