最近、既に翻訳のある著作を「新訳」として新たに訳出するのが流行である。確かに「カラマーゾフの兄弟」にしても「ロリータ」にしても新訳の方が読みやすいし、注釈の整備、正確さ(自分のわかる範囲でだが)など、優れたところが多くある。しかし、読みやすければそれでいいというものではない。この「ローマ帝国衰亡史」はその例である。相当に古くさい岩波文庫版(絶版)はともかく、そのあと中野好夫氏他の訳(現在はちくま学芸文庫)という優れた訳業が出ているにもかかわらず出版するというのは、さだめし自信のある翻訳なのであろうと思ったが、一瞬にして間違いであることがわかった。ここにおいては普及版という言葉は、「単なるダイジェストである」もしくは「十分な注釈はつけないか、あっても省略する」という意味のようだ。文章としても中野訳に比して勝れたところは毫も認められない。あれだけ浩瀚な書物をこの程度の上下巻に圧縮しようとするのが最初から誤っているし、訳者はそれに値する力量を持っているとは認めがたい。中野訳が手軽に利用できる今、存在価値はなさそうに思う。