Would you like to see this page in English? Click here.


または
1-Clickで注文する場合は、サインインをしてください。
または
Amazonプライム会員に適用。注文手続きの際にお申し込みください。詳細はこちら
こちらからも買えますよ
この商品をお持ちですか? マーケットプレイスに出品する
新訂 字訓
 
イメージを拡大
 

新訂 字訓 [大型本]

白川 静
5つ星のうち 4.0  レビューをすべて見る (3件のカスタマーレビュー)
価格: ¥ 17,850 通常配送無料 詳細
o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o o
在庫あり。 在庫状況について
この商品は、Amazon.co.jp が販売、発送します。 ギフトラッピングを利用できます。
2点在庫あり。ご注文はお早めに。
2012/5/29 火曜日 にお届けします! 「お急ぎ便」オプション(有料)を選択して注文を確定された関東エリアへの配達のご注文が対象です。詳しくはこちら

キャンペーンおよび追加情報


よく一緒に購入されている商品

この本と新訂 字統 ¥ 6,300 をあわせて買う

新訂 字訓 + 新訂 字統
合計価格: ¥ 24,150

在庫状況の表示

  • 対象商品: 新訂 字訓

    在庫あり。 在庫状況について
    この商品は、Amazon.co.jp が販売、発送します。
    通常配送無料(一部の商品・注文方法等を除く) 詳細

  • 新訂 字統

    在庫あり。 在庫状況について
    この商品は、Amazon.co.jp が販売、発送します。
    通常配送無料(一部の商品・注文方法等を除く) 詳細


この商品を買った人はこんな商品も買っています


商品の説明

出版社 / 著者からの内容紹介

1821語を取り上げ、日本語の語意識と漢字の字義とのかかわり合いを詳説。古字書が掲げる漢字や訓、注目すべき古今の語源説なども広く紹介。記紀・万葉などからの多数の用例文は、文意の完結する適切な長さで引用。漢字の字源を知る助けとなる甲骨文や金文など約400字を新たに採録。巻末には検索に役立つ「和語索引」「漢字索引」「万葉索引」を収録。

出版社 / 著者からの内容紹介

白川字書三部作の改訂版第二弾の『字訓』。古く日本人が外来の文字である漢字をどのようにとりこんだかを説く異色の古語辞典に、新たに現代仮名づかいでひける索引なども添えた。

登録情報

  • 大型本: 944ページ
  • 出版社: 平凡社; 新訂版 (2005/10/15)
  • ISBN-10: 4582128076
  • ISBN-13: 978-4582128079
  • 発売日: 2005/10/15
  • 商品の寸法: 27.6 x 20.8 x 5.2 cm
  • おすすめ度: 5つ星のうち 4.0  レビューをすべて見る (3件のカスタマーレビュー)
  • Amazon ベストセラー商品ランキング: 本 - 624,608位 (本のベストセラーを見る)
  •  カタログ情報、または画像について報告


この商品を見た後に買っているのは?


類似した商品から提示されたタグ

 (詳細)
関連タグ(この商品に近い関連キーワード)を追加する++最初のタグになります
 

 

カスタマーレビュー

最も参考になったカスタマーレビュー
43 人中、42人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
By 宣長さん トップ50レビュアー
形式:単行本|Amazonが確認した購入
 例を挙げ無るので、他を類推してください。とにかく、ことばの根源から分かってきます。

つま【夫・妻・嬬】つまは端(つま)。ものの両側面をいう語である。それで一組のものが、たがいに相手を「わがつま」とよぶことができた。夫からは妻、妻からは夫をよぶ語で、のち妻の意に用いるようになった。新婚者の家も本家の端(つま)に作られ、「つまや」という。衣の裾(つま)、また妻戸などもいう。「若草の」は「双葉」の意で、「つま」にかかる枕詞にせる。
 〔古事記〕〔万葉集〕の用例が示され、懇切な解説がある。夫・妻はともに婚礼のときの盛装の姿を示す字である。嬬は需声。需はもと雨乞いする巫女を意味する字であった。

 このように、その言葉の語源・成り立ちから根本的に分かってくる。他の辞書が軽薄にさえみえてくる。これは一途に著者が言葉・文字の根源から判ろうとする国語学者の執念があったからだろう。漢字が親字ではなく、ひらがなに括弧の中に漢字を当てている。少し、例示しておこう。
 さま【方・法】【状・様】こと【琴】【言・辞・詞】【殊・異・別】もの【物・者・鬼】す【為】【巣】【渚・洲】例文引用で一番多いのは万葉の歌である。
 万葉仮名も次のように用いている。
正月(むつき)たつ春の波自米(初め)にかくしつつ相し笑(ゑ)みてば時じけめやも〔万4137〕これは、はじめ【初・始・肇】の一用例である。
このレビューは参考になりましたか?
形式:単行本
どちらか一冊を選べと言われれば、白川静では本書より「字統」を薦める。で、その字統だが、例によって総合すれば、藤堂明保の学研・漢和大字典の方が良い。例を上げよう。「歳」の字を調べてみた。藤堂の大字典ではこの字が「歩」と関連していて、木星のことであることがわかる。後者については、天文学との関わりを示唆する。そこで同じ藤堂の「歩」の字を調べると、「天体の運行」といった記述があり、うなずけるものがある。ところが白川の字統では、「歳」の木星や「歩」との関係は否定され、例によって得意の器・理論が登場し、あくまで木星や「歩」は、後代の追加とされる。後代と言ったって殷代というなら今から見ればどういう違いがあるのか、はっきりしない。木星や「歩」が「歳」の字に織り込まれていないと主張する白川の根拠が例によって曖昧模糊としているし、その原因が白川の十八番の器・理論(例の「口」の字にあるような)とあれば、なおさらのことになる。ただ白川説で価値があるのは、「歳」の字で歳星の知識(天文学の知識)とは無関係という間違った断定(私はそう信じる)をしながら、一方で「歩」の字の項を見ると、反閉(へんばい)とか「神事的な儀礼に臨むときには、歩してその地に赴くのが古儀であった」と藤堂にはない鋭い指摘がある。つまり、白川の頭の中では、「歳」の字と「歩」の字が泣き別れになっているにも拘わらず、「歩」の字については本来の意味が「巡礼」にあるという真実を知っている。これに対して、藤堂の方は、「歳」と「歩」のつながりは知っているが、「歩」のもつ「巡礼」の意味には気づいていない。こうなるとどっちもどっちなのだが、白川は「歳」の字の天文学の影響を、後代(戦国期)に西方からもたらされたものだから、「歩」とは無関係と主張するが、どうもこの論理が理解できない。わざわざ藤堂の気づいていない関係性を指摘してくれてありがとうと言いたいくらいである。結局、「歳」の字が「星に至る天宮への道を歩いて巡礼する」という日本で言う反閉や中国の道教思想を体現していると思うのだが。白川の場合、こうした歴史観が、妙な方向にずれこんでいるのではないだろうか。少なくともコリーヌ・セローの「サン・ジャックへの道」とか、 ルイス・ブニュエル 「銀河」といった映画の一つでも白川が見ていれば、こんな単純な過ちはしないのではないだろうか。
そこで、少し手前味噌ではあるが、こうした知識の欠陥を補ってあまりあるものを提供してくれる「宇宙に開かれた光の劇場」上野和男・著という本を紹介したい。この本では17世紀のオランダの画家・フェルメールが、いかにその絵画の中でこの「星の巡礼」を実現したかの好例を見せている。西洋の天文学や日本の反閉(P.35 参照)の見方が、どうフェルメールと関わっているのかが、この本でわかるだろう。百聞は一見にしかず!
このレビューは参考になりましたか?
12 人中、2人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
形式:大型本
 いまは『字訓』を通読している。追跡の気配の途絶えた折に、この大部の字書をハンドルの背において、耽読しているわけだ。短な引用もしている暇はない。凡庸どころではないあたしの追跡者はいまも執拗、怜悧に彼我を隔つ距離を詰めてきているからだ。彼こそは呼んでもいいのだ、死の影と。
 しかし、とはいえ、ここに所収された精選された文献のなかから、〔記〕〔紀〕〔万葉〕のなかから、あたしなりの白川/エリサ万葉百人一首を、いくとおりか、記すくらいのことはできようか。
1.明日よりは春菜(わかな)摘まむと標(し)めし野に昨日も今日も雪は降りつつ  八・一四二七
2.茜(あかね)さす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る  一・二〇
3.妹がため菅の實採(つ)みに行きし吾(われ)山路に惑ひこの日暮らしつ  七・一二五〇
4.阿騎の野に宿る旅人うち靡き眠(い)も寢(ぬ)らめやも古念ふに  一・四六

《 わが国の神話は多元的であり、複合的であるといわれている。それはさらに遡っていえば、わが国の民族と文化とが、多元的であり、複合的な成立をもつものであることを、意味していよう。》 白川静『中国の神話』中公文庫
《 地中に埋められていた銅鼓は、春の生命力を蘇らせるものであった。おそらくわが国の銅鐸も、その機能において、銅鼓と同じ意味を持つものであろう。》 同書
《神話の基盤をなしたところのものは、歴史的現在としてわれわれのうちにある。》 同書

 《前期万葉の時代は、なお古代的な自然観の支配する時期であり、人びとの意識は自然と融即的な関係のうちにあった。》 白川静『初期万葉論/白川静著作集第十一巻・万葉集』平凡社
《人麻呂の呪歌的な儀礼歌は、その本質において詩篇の作者としての尹吉甫のそれと、ほとんど異なるものではない。また遊部的な巫祝者的集団に焦点をおくとすれば、それは[楚辞]の文学を生んだ楚の巫祝者たちに近い。》 同書
《……おそらく人麻呂は、その死とともに宮廷を去り、のち数年にして、何らかの罪に坐して死んだのであろう。臨終の歌は刑死者の残すものであるとする梅原説([水底の歌]第一部第三章)は、十分に成立の可能性がある。その死はおそらくその属する巫祝的集団の性格に関するものであろうと思われる。この古代的集団は、それ自身反律令的性格の上に立つものであった。》 同書
《……安騎野への山尋ね、そこでの旅宿り、そして冬至払暁の受霊の儀式は、……。「東の野に炎(かぎろひ)の」一連の歌は、天皇霊の現前とその受霊という、荘厳にして絶対的な祭式的時間を歌うもので、叙景ではない。》 同書

《 古代の歌謡は、その本質において、魂振り・魂鎮めのための呪歌であった。》  白川静『古代歌謡の世界――[詩経と万葉集]/白川静著作集第十一巻・万葉集』平凡社
《古代歌謡の世界は、政治の優位する国家の出現という新しい事態のなかで、その自律的な存在を失ってゆく古代的な氏族全体の挽歌ともいえよう。》 同書
5.あふみの海夕波千鳥汝が鳴けば情(こころ)もしのに古思ほゆ  三・二二六
6.淡路の野島が崎の濱風に妹が結びし紐吹きかへす  三・二五一
7.天さかるひなの長道を戀ひくれば明石の門より家のあたり見ゆ  十五・三六〇八
8.愛(うつく)しき人(ひと)の纏(ま)きてし敷栲(しきたへ)の我(わ)が手枕(たまくら)を纏(ま)く人あらめや   三・四三八
9.春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つ少女  十九・四一三九
10.わが苑に李の花か庭に降るはだれのいまだ残りたるかも  十九・四一四〇

《しかし万葉びとは、自然がその霊的な姿を示す一瞬をとらえればよかったのである。》 白川静『万葉集と中国思想/白川静著作集第十一巻・万葉集』平凡社

《文学の展開という点では、[万葉]の百年は中国古代文学の千年を超える期間に匹敵する。そこに周辺文化的な変革性の問題が介在する。》  白川静『中国文学と万葉集/白川静著作集第十一巻・万葉集』平凡社

《最も文化的といわれる巨大都市は、自然の最も荒廃した廃墟である。この廃墟を救うために、森を回復しなければならない。》 白川静『桂東雑記'W・樹木』平凡社
《文化の第一の要件は、人間的であるということである。自然と共にあるということである。歴史とともにあるということである。識閾の及ぶ範囲の、自己諒解の中にあるということである。》 同書・都
《そして最も恐ろしいものは、原子力発電の跡始末である。処理不能の危険物が、処理不能のままで仮埋蔵されているのである。》 同書・大地

  年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山  西行、六十九歳、奥州への旅立ち

11. 小草壯丁(をくさを)と小草助壯丁(をぐさすけを)と潮舟(しほぶね)の竝(なら)べて見れば小草(をぐさ)勝ちめり  十四・三四五〇
12. 兒毛知(こもち)山若楓(わかかへるで)の紅葉(もみ)つまで寢(ね)もと吾(わ)は思(も)ふ汝(な)何(あ)どか思(も)ふ  十四・三四九四
13. 下毛野(しもつけの)安蘇(あそ)の川原(かはら)よ石踏まず空(そら)ゆと来(き)ぬよ汝(な)が心告(の)れ  十四・三四二五
14. 稲舂(いねつ)けば皹(かか)る我(あ)が手を今宵(こよひ)もか殿(との)の稚子(わくご)が取りて嘆(なげ)かむ  十四・三四五九
15. あり衣(きぬ)のさゑさゑしづみ家(いへ)の妹(いも)に物言(もの)はず来(き)にて思ひ苦(ぐる)しも  十四・三四八一
16. あしひきの山路(やまぢ)越えむとする君を心に持ちて安すけくもなし  十五・三七二三
17. 君が行く道のながてを繰(く)り畳(たた)ね焼きほろぼさむ天(あめ)の火もがも  十五・三七二四
《 これはまた、実に激しい歌ですね。あなたが流されていくであろう、というのは、宅守は若狭へ流されるんですが、その行く道を「繰り畳ね」、くるくるっと、巻きくるんでしまって、パーっと燃やしてしまう。そういう「天の火もがも」ですね。》 白川静『桂東雑記'W』平凡社

  たのしみは朝おきいでて昨日(きのふ)まで無(な)かりし花の咲ける見る時  橘曙覧

《……呉王夫差につかえた伍子胥(ごししょ)が死を賜うたとき、「我が目を刳つて呉の東門に懸けよ。以て越兵の呉を滅ぼすを見ん」といった呪言も、架空のことではない。呪眼や邪眼をおそれる古代人の心情は、なお生きていたのである。》 白川静『桂東雑記 拾遺』平凡社
《……「め」はその民族にとって、神に「むかふ」ものであり、神を視るためのものであった。みえざるものをみることに、その機能はあったのである。》 同書
《 古代文学の叙述を神話からはじめることは、最もふさわしいことのように思われる。》 白川靜『中国の古代文学(一)神話から楚辞へ』
《 古人は祭式において、最も象徴を重んじた。神霊の世界は、象徴的方法のほかに、それを表現することができないからである。》 同書
《中国の文学は、その政治社会への姿勢をもつものとして特徴づけられるものであり、その点においてわが国の文学のありかたと、対蹠的なものであったということができよう。》  同書

18. 島の宮勾(まがり)の池の放ち鳥人目を戀ひて池に潛(かづ)かず  二・一七〇
19. 天の河霧立ち上るたなばたの雲の衣のかへる袖かも  十・二〇六三
20. 吾妹子(わぎもこ)がかたみの衣なかりせば何ものもてか命つがまし  十五・三七三三

《 '雲の衣、白霓(げい)の裳(もすそ) 長矢を擧(あ)げて天狼(星名)を射る》 楚辞
「星を射る人」とは、わたしの初めての訳書に付したタイトルでもあったな、とふと思う。その後、知らぬまに文庫化されて「聖なる星への帰還」とか、変じたけれども。(『星を射る人』(大陸書房)→『聖なる宇宙への帰還』(ボーダーランド文庫) )。

《 詩の様式をかりに悲歌と叙事詩という対比としてみるとき、辞はその悲歌的なものとすることができよう。それは不幸の文学であり、その不幸を肯定し、それを避けることよりも、むしろそれに向かうことを自らの運命とする文学である。屈原の徒が伝える『楚辞』の文学は、まさにそのようなものであった。「命ならば即ち幽にも處(を)らん」〔思美人〕…… 》  白川静『中国の古代文学(二)史記から陶淵明へ』中公文庫
このレビューは参考になりましたか?
カスタマーレビューの検索
この商品のカスタマーレビューだけを検索する

クチコミ

クチコミは、商品やカテゴリー、トピックについて他のお客様と語り合う場です。お買いものに役立つ情報交換ができます。
この商品のクチコミ一覧
内容・タイトル 返答 最新の投稿
まだクチコミはありません

複数のお客様との意見交換を通じて、お買い物にお役立てください。
新しいクチコミを作成する
タイトル:
最初の投稿:
サインインが必要です
 

クチコミを検索
すべてのクチコミを検索
   
関連するクチコミ一覧


リストマニア

リストを作成

関連商品を探す


同じキーワードの商品を探す


フィードバック


Amazon.co.jpのプライバシー ステートメント Amazon.co.jpの発送情報 Amazon.co.jpでの返品と交換