「立山の御師(おし)」の項を繙くと、富山平野についての絵を見るような解説があります。摘録します。
「越中の野は、鶴がつばさをひろげたかっこうで富山湾を抱いている。
野の中央の呉羽山(くれはやま)というナマコ形の丘陵が富山を関東文化圏と関西文化圏に分けている。
東西は方言も、生活意識も商売の仕方も違う。富山市や魚津市は呉東(ごとう)であり、高岡市は呉西(ごせい)である。」
富山平野からは立山(たてやま)が一望でき、この平野で過ごしたことのある万葉の歌人 大伴家持(おおともの やかもち)も次のようにうたっています。
「立山に 降り置ける雪を 常夏(とこなつ)に 見れども飽かず 神(かむ)からならし」
(立山の頂の白銀を夏じゅう見続けても飽きなかった。立山は神なのであろう)
越中人にとっては立山は巨大な宝石のような存在で、晴れてはよろこび、朝夕の陽に赤く染まってはよろこぶ。
旅心がそそられる一節です。