斜陽産業とも称される新聞業界の「周縁」にいる(いた)3つの「弱小地方紙」の挑戦と挫折から、新聞再生の糸口を探る。「ラジカルな思考機会に恵まれる周縁のジャーナリストが、果敢に立ち上がり挑戦し続ける営為のなかに、新聞再生のカギを見つけられると信じる」という考えに基づいている。
廃刊に追い込まれた「鹿児島新報」とそのOBが作るHP、社内から不採算職場と指弾される「神奈川新聞」のHPカナロコ、創刊から半年で消えた「みんなの滋賀新聞」。著者は「産業論としてみれば3事例とも取るに足らない」と認める。
一方で著者は、新聞の淵源をたどり「他者に開かれた社会空間としての<新聞>」「デモクラシーの苗床としての<新聞>」の重要性を強調する。そして、そうした<新聞>を再生させるためには「観客となっているふつうの人々に参加を促すしかない」と説く。
果敢に市民・読者の中に分け入った3つの事例は「地域にこだわり、地域の人々とともにあろうとする思想」であり、まさに「ふつうの人々に参加を促す」実践例として紹介されている。
だが、読後に違和感が残った。なぜなら、3つの事例は商業・採算面で成り立たないだけでなく、「開かれた社会空間」としても市民・読者に支持されなかったからだ。最も分かりやすいのが、無料のカナロコ。にぎわったのは開設直後の数日だけで、現在のカナロコを覗き見ると、閑散ぶりがよく分かる。
やり方の問題なのかもしれない。しかし、少なくとも3つの事例から「ふつうの人々に参加を促すしかない」という説の確かさを認めることはできず、したがって「新聞再生のカギ」を見出すこともできなかった。