キリスト者の聖書の捉え方は、「信仰」(それもドグマとしてのパウロ的信仰に沿っていなければ
ならない)に縛られているのは致し方ないのか。
でも、あの新約の福音書、書簡ともほぼ同時期に書かれ、矛盾が無い筈とまともな学問(批判的な
判断ができるということで)をした人間が無条件で受け入れているのは、やはり「不誠実」。
でも、冷静に読めば新約聖書がそれぞれの著者の思い入れや、分派への敵意、自己愛がそこかしこ
に滲み出てて、実に面白い文書であることを教えてくれました。
それよりも、マルコとは違い、マタイ・ルカで断片化されドグマに沿った歪曲を受けたイエスの
言葉からでも、実にユニークな、かつ権力者に対する敵意をむき出したイエスの性格が顔を出して
いる・・・・次のヨハネによる福音書が楽しみです。一時はグノーシスなんたらとくっ付けようと
した「学者」もいたが、ある意味、マタイ・ルカと異なった「神格化」されたイエスの生涯の描き
方を田川健三に再び教えてもらいたい。