1テサ, ガラ, 1コリ, 2コリを収録。毒舌を笑い飛ばせるくらいの信仰を持った説教者がきちんとギリシャ語に当たる場合にこそ、この書物の真価を発見できるだろう。個々の単語の訳語を、欽定訳やルターやウルガタの影響(著者は「護教的」な読み込みと言うが)を除去して語義的に元来の意味にこだわって選択した可能な限りの直訳で、そのことを註で詳述。分詞構文など後から修飾して文を続けている構文も、なかなか苦慮して原文に近づけて訳している。そのために日本語としての読みやすさは考えていない、といより、そもそも原文の意味が一つに確定できないならばその曖昧さをそのままに訳出し、訳を一意に決定できない場合に考え得る訳をすべて註において吟味、特に口語訳と新共同訳との比較を中心にその他の訳と相違する理由を、毒舌を絡めながら飽きずに張り切って叙述(しかし新共同訳の「キリストに結ばれて」の頻出にいたってはついに「もうやめてよ!」と絶叫。2コリ12:19)、本文批評(著者は「正文批判」と言う)も原文が確定できなければ断定しないという姿勢で言及、バウアーさえ鵜呑みにせず、パウロの悪文(例えばγαρの多用)や属格趣味(1テサ1:3など)や自意識過剰(例えば1テサ2:18)に辛抱して付き合い、うまく訳せないときは素直に謝る(1テサ3:7、ガラ1:11、1コリ15:34など)。
「口語訳」と「新共同訳」をけちょんけちょんに批判しているのは、立派な翻訳であるからで、「すでにそういうものが存在しているにもかかわらず、敢えてそれと異なる訳を提供するには、・・・それだけの理由がなければならない」からだが、それらの方が優れている場合には真似をしている(例えば1テサ2:5)。なお、これ以外の日本語訳は「水準がまるで違って、とても言及するに価しない」(序文)。