文学理論とは、われわれの生きる時代の政治やイデオロギーの一部であることを立証するのが、本書の最大の課題である。こんな課題当たり前のこと、と思われそうだが、日本では(おおざっぱにいって)「政治と文学」の問題は、もっぱら党派政治とそれの従属化、超克か、という点で論じられてきたようにおもう。本書のように、政治思想・イデオロギー史の文脈で文学論を整理するということはやられてこなかった。文学理論は政治的であり非政治的たりえない」これが結論である。そして本書は、文学の「審美性」への内向が批判されており、したがって、のちの『ポストモダニズムの幻影』につづく、ポストモダン論が展開されている。デリダ・フーコーらに対して、その政治的実践性の観点から評価を与え、他方でそうした実践性を換骨奪胎し、ただの「言説論」に堕していったその追従者に対しては断罪する。日本では全く逆の(政治実践性が否定される)評価が、80年代なされたことを考えれば、いまだこのイーグルトンのポストモダン評価は(日本)新しいのかもしれない。
本書で「文学」を解体したイーグルトンは、ポストモダンへの懐疑をさらに深めつつ、イデオロギー論の探求へとむかう。『イデオロギーとは何か』とたてつづけて読んでもいい。