日本哲学界の巨人、廣松渉による哲学入門書である。
廣松による哲学入門書としてはほかに『哲学入門一歩前』(講談社現代新書)があるが、本書はそれよりも先に書かれており構成も若干異なる。初心者が読みやすさで選ぶのであれば『一歩前』をまず読むことをお薦めしたい。本書は入門書と呼ぶにはあまりにも内容が重厚であり、何も知らない読者がうかつに手を出すと火傷するおそれがある。
だが廣松ファンが読むのであれば話は別である。入門書だからといってあなどってはいけない。新書版というコンパクトな体裁の中に、廣松哲学が過積載といってもいいくらい詰め込まれており、満腹どころか下手をすれば消化不良を起こすかも知れない。
「第一章 認識するとはどういうことか」「第二章 存在するとはどういうことか」「第三章 実践するとはどういうことか」のそれぞれが認識論、存在論、実践論に相当しているように見えはするが、第一章が全体の半分近くを占めている上に、存在論も実践論も認識論に吸収されてしまっている観は否めない。存在と存在の認識とは切り離すことができず、実践とは価値評価に基づく行為に過ぎないとする廣松らしい構成ではある。個人的には「人生劇場」の共同主観性を主張する廣松が、決定論をはっきりと否定しているのが興味深かった。
だが実践論における価値評価に対しては一言物言いをつけたい。なるほどサンクションによって行為がある程度決定されることも、正義や道徳が間主観的に形成されることも確かではあろう。しかし道徳的行為の全てが外的拘束力に基づくのかというと、必ずしもそうは言えないのではないだろうか。例えば殺人に対する忌避は、刑罰ではなく同情に基づくのではないだろうか。
初心者にはお薦めできないものの、ハイテンションな文体と豊富な語彙によって語られるその内容は、廣松哲学の圧倒的な深さと厚さを改めて思い知らせるに充分な迫力を備えており、さすがとしか言いようがない。未完に終わった『存在と意味』の構成を彷彿とさせる点でも貴重な一冊である。