『逆命利君』とは、著者を兄アニキと慕う佐高信氏による、住友商事の鈴木昭男氏を書いた書籍の題名だが、渡邉氏にその覚悟を持った部下がいたのか?、その部下を「俺に従わない奴だ」と感情的に排除しなかったか?の2点を非常に疑問に思う。
「アルバイト時代から口数は少ないが、正論と思うことについては意志を曲げない気骨ある男」として門司実(現ワタミ手づくりマーチャンダイジング株式会社 代表取締役社長)の科白を引き、「ワタミには社長に意見を言う人はけっこう多いですよ。」と、中川直洋秘書室長が言う場面があるが、そこで例に出した清水邦晃氏(現ワタミの介護株式会社. 代表取締役社長)にも、渡邉氏は当初突然「お前は介護向きの顔をしてるから介護を手伝ってもらおうか」と言い、清水氏はすぐにヘルパー二級の資格を習得している。
また本人もコムソンの折口雅博氏のワンマンぶりを話すのに、「おれもそうとうなワンマンだが」と自認しているし、弁当宅配のタクショクを買い取った後、当時の創業社長園田義夫氏に3年間残って指導してくれとお願いしておきながら、七ヶ月ほどで気持ちが変わったと会長に格上げし、ワタミから乗り込んだ吉田光宏代(現ワタミタクショク表取締役社長)を副社長から昇格させた。
園田氏には長崎まで渡邉氏が出向きお願いし、園田氏も笑顔で応じたと書くが、周囲がYESマンばかりの暴君なのかそうでないのか? 渡邉氏の決断によって会社が繁栄していれば、それは許されるのか?との疑問は解決なされなかった。
介護事業を始めた際、業界の常識である入浴の流れ作業を止めたところ、スタッフから「わたしたちの手間は五つも六つも増えました。確かに入居者は幸せになったでしょう。でも、わたしたちスタッフの幸せは損なわれました。」と詰め寄られ、「入居者の様の幸せが自分自身の幸せじゃないと思う人は、辞めてくださって結構です。」と回答し、640人中約200人が退職した件は、さすがにその後の話を書く際に無視できなかったのであろうが、
居酒屋・語らい処 坐・和民 三軒茶屋店で20名の客がノロウィルスによる食中毒に感染し、10年9月末から一週間の営業停止処分を受けながら、店は処分期間中を改装工事と発表する隠蔽工作を謀り、この3年間で5件もノロウィルスによる食中毒が発生していたのも併せて取材した『週間金曜日』に対し、徹底した取材拒否を行った、
その期間中、従業員に賃金補償はなく、06年には、アルバイトの勤務時間を30分未満の端数を切り捨てて記録し、全国の47店舗で217人に計約1200万円を、それに先立つ北大阪労働基準監督署による是正勧告を経て支払った、
それを労基に内部告発したバイトは、「勤務時間の切り捨てを内部告発した後、報復で解雇された」として同社に慰謝料など約450万円を求めた訴訟を起こし、09年、同社が懲戒解雇を撤回して自主退職扱いとし、解決金75万円を支払う内容で和解、
08年には渡邊氏が買収した郁文館学園学校で、教師に対し髪を強制的に切るパワハラを行い、解雇もされたことから、教師は提訴、
会社経営に自らを神格化する思想注入をしていることは有名で、「やりがいの搾取」と揶揄される、
と言った事柄が、何等書かれていないのはどうしたことか?
かつて『労働貴族』で、日産自動車の労組で「塩路天皇」とよばれた塩路一郎を批判する『月刊現代』での連載中、突き落とされることを怖れて電車が停車するまで階段で待った時のような気概はどうしたのか?
渡邊美樹氏の発言はよく知られており、その中には、「絶対にウソをついてはいけない」という台詞があり、顧客には「日本で1番ありがとうを集める会社になろう」との理念を持って、細やかな心遣いを行うと表明するが、それは本当に社内で生きているのか?
だとしたら、前述の事態をどう説明するのか?
そんな渡邉氏を著者は「強さと優しさを持った、したたかな経営トップ」と持ち上げ、餐の家一号店がオープンし、未来は前途洋々という感じ話は終わる。
渡邉氏は会長に退き、社長を譲ったが、カリスマオーナーの苦難を書ききれておらず、読む方が苦難である本書だが、その傾向は既に前作に現れており、何故続編を書いたか その裏を知りたいかぎり。
やってることが全てマズイわけではなく、SAJのカンボジアでの学校・孤児院立ち上げなど、ボランティアにも熱心だが、プラスとマイナスの双方を書かないと、どこの会社でもある単なる褒め殺し社史になってしまう。
その意味では、本書は銭を腹って買って貰うものではなく、ワタミで無料配布すべきものだとの印象を持った。
ワタミについては、渡邉氏の長男が来春慶応大学を卒業する。
すぐワタミ入りするつもりは本人はないようだが、将来的に継ぐことが視野に入っていると4月8日付報知スポーツのインタビューにあった。
著者は、長男のワタミでの仕事ぶりを『新たなる青年社長』とでも題して書くのだろうか?
それこそ著者の晩節を汚す行為にならなければと心配する。