本書は小説の形を借りた、戊辰戦争総括であり、現在5巻まで刊行中の『満州国演義』(新潮社)の前段とも言うべき作品となっている。まさに日本帝国主義の生成過程を、薩長を中核とした官軍(西軍)の東北侵略戦争の中に見出だしているのだ。ただ、『満州国演義』でも見られる、間諜による謀(諜)略史観が、本書に若干の違和感を与えているが、それも総括を導き出す手段となっている。また、これまでの敗者の美学や判官贔屓や怨念で、東北での戊辰戦争流血譚を語るのではなく、奥羽越列藩同盟の欠点や齟齬を明確に抉り出しているのだ。
大藩を中心とした緒藩の連合体である奥羽越列藩同盟は、「戦争目的」を救会(津)から出発して薩長政権に対抗する東北政権を展望するに至るが、「藩」がそれを疎外する。すなわち「一藩主義」が「建国」を疎外してしまうのだ。小藩の中には、他藩への義から自藩を顧みず戦った二本松藩や平藩の例もあるが、殆どの藩が最後には「一藩主義」に陥ってしまう。我が会津藩とて例外ではない。また「戦闘目標」も「一藩主義」のため分進合撃とはならず個別撃破され、軍議で土方歳三が、軍事総督就任に際し生殺与奪の権が必要としたが、これも「一藩主義」により拒否され「建軍」も疎外される。
また封建思想により武士と農民が分断されていたため、武士間の戦いにすぎないと局外者あるいは反抗者となった農民は、近代総力戦の様相を帯びた戦闘では殺戮対象となってしまう。ただ庄内藩だけが農民、町民を組織し、豊富な軍資金で最後まで戦ったが、「本間様には及びもないが、なってみたいな殿様に」と謡われた豪商本間家の存在がその要因であった。
最後に著者は明治期の日清、日露戦争に戊辰戦争の人脈を見る。もし奥羽越列藩同盟の戦いが違ったものとなっていたら。そこに著者の総括の真意がある。