新院方が敗れ、爾後は信西入道が首班となり戦犯の処罰から
新政の企画立案と機を見るに敏、事を決するに断の姿勢で、
打って変わったその宰相ぶりを如何なく発揮します。
ただこれらは平家の武力背景のもとに行えた事でした。
思えば保元の乱は信西入道の雄渾なシナリオだったんでしょうね。
しかしながら、何事も急展開は反動も生むもの・・・。
やがて、反信西陣営は天皇、上皇の身柄を監禁し
クーデターの狼煙を挙げ、宰相信西入道も凶刃に斃れました。
ここで、大弐清盛は乾坤一擲の勝負を、源氏と戦う事を決断します。
それは藤原北家による摂関政治が終わりを告げ、やがて永きに亘って
日本を支配した武家政治の始まりの決断でした。
この時の清盛の描写もおおらかで、人を統べる器量の何たるかを
吉川先生は見事に活写しています。
やがて、紫宸殿の左近の桜、右近の橘の大庭で夜目にも鮮やかに
義平、重盛の一騎打ちが行われ、それぞれの御曹司は
自家の命運と誇りを賭けて駒を駆け合わせます。名場面ですね。
この戦を以ってついに、廟堂にも実力と影響力のある
平清盛の時代が訪れることになります。
源義朝はまだまだ若く、武者の域を出ていませんでした。
保元の頃の処断の悲惨さも清盛の記憶に新しく、頼朝も常盤の3人の和子も
奇蹟的に死を免れます。この世に源氏の血筋は残ったわけです・・・・。
この時の清盛は得意の絶頂で、後年源氏の反攻による一門の落魄・流亡など
想像だにしなかった事でしょう。
ここから遥かな源氏再興の萌芽がみられます。