密かな志を胸に平家の頤使に甘んじた源三位頼政。
以仁王の令旨と共に、各地の源氏の旗揚げの先駆けを
果します。一敗地にまみれ、頼政父子や以仁王は自刃したものの、
源氏再興への大きい布石となりました。
やがて新宮十郎行家は津々浦々の枯れ木に花を咲かせる如く、
平家追討の令旨を伝えて行きます。
満を持して、伊豆の頼朝もついに約二十年の忍従に別れを告げ、
平家覆滅の狼煙を上げました。時に治承4年8月17日。
帷幕には政子の実家である北条氏や、土肥、佐々木兄弟らの
ごく近しい面々と共に韮山にある山木兼隆の目代屋敷を襲撃し、
兼隆を討ち取ります。
ここまでは順調でしたが、何しろ無勢ではありました。
頼みの三浦勢の参着が間に合わず、次の石橋山の戦では大敗し
主従、一旦はちりぢりになるものの、将としてまた次代を担う頭領としての
強運は頼朝をして幾多の僥倖に恵まれて余りあるものでした。
もっともこの時期、旗下に集った武士たちはまだまだ烏合の衆。
模様見、日和見の人びとも多かったと思います。
繊細に見えて実は大胆な頼朝。こういう点は相国清盛にも共通するものが
あるような気がしますね。
千葉・上総両氏を幕下に加え、押しも押されもせぬ一大勢力を率いて
安房から北上すべく駒を頼朝は進めます。
一方、信濃では朝日将軍・木曾義仲も兵を上げました。9月7日の事でした。
いよいよ、源平盛衰の戦の数々が全国を舞台に繰り広げられます。