常識の中に隠れている歴史の謎が解かれて、その理由が示され楽しく読める。
しかし、誤りも散見される。
四苦の「生老病死」の「生」を「生きること」としている(109頁)が、「生まれること」が正しい。
生まれて老いて病んで死ぬということだからである。
「生きる」では、概念の整合性がない。
生死とは、生まれ変わりの輪廻のことで、生まれたのは前世で死んだからであり、
死ぬのは来世に生まれることである。
つまり、生→死→生→死=輪廻である。
この輪廻からの解脱が仏教の目的である。
「天上」「人間」「修羅」「畜生」「餓鬼」「地獄」を経巡るのを六道輪廻と言っている。
さらに、「如来」と「仏」の違いも説明できていない。
口称念仏が「南無阿弥陀如来」ではなくて「南無阿弥陀仏」であるのは、語呂が良いからだと述べている。(134頁)
「如来」は中国語で意味を表し、「仏」は原音の「ブッダ」を表している。
念仏は、翻訳ではなく、原音で行うべきと考えたからだ。
また、著者は経典を読んでいないと思われる。
『法華経』には成仏の方法が書かれていないと繰り返し述べているが、原文ではなく、永井路子の随筆を示すだけというのはお粗末だろう。
実は『法華経』には、真理としての「縁起説」が1カ所だけだが書いてある。
「浄土三部経」については、内容の異同が示されない。
『大無量寿経』は解説を読んだ程度のようだし、
極楽浄土の風景について最も重要な『阿弥陀経』も、
救済原理を示した『観無量寿経』も読んだ形跡がない。
法然の言葉を『徒然草』から同じ言葉を何度も引用しているが、法然の語録『和語灯録』からの引用はない。
「本願ぼこり」を誤解している。
『歎異抄』では、造悪無碍を否定しているが、本願ぼこりは肯定している。
本書によって、原本を読むきっかけになればと思う。