チェスタトンを社会哲学・思想家と位置づけていない
人には氏が好んで使う警句や逆説的な言い回しの
観念的な難解さは免れない小説だと思う。
ただ、1点だけ付け足すと、この本についてはチェスタトン自身
まだ思想が固まっていたとは言い難い時だったらしいということ。
私はチェスタトン思想の完熟しきった「正統とは何か」
の良き理解者とは言えないが、良き読者であると思うが、
もしもチェスタトンを保守主義者と呼ぶことができるとしたら、
この小説は「レトロ趣味」、
(幾分否定的な意味合いを込めざるをえないものとして)
そういう読後感として残ってしまったという印象がある。
それはやはり私の尺度によって思想哲学の観点から照らし出し
たものであるから、小説の名誉は傷つける意図はまったくない。
つまり純粋に思想として、純粋に小説として読むのは間違っている
ということかもしれない。若い小説というべきか。
その意味は若さには、危険なくらいに魅力がありはするが未熟さを
免れない。
ユーモアキングのクゥインが、諧謔の人チェスタトンに、
狂信情熱家のウェインが、超人ニーチェに見えたのだが、
小説中で語られるように、両者は互いに対立するものだが、
両者は実は「近代的なるものに懐疑を向けた」という点では、
互いに背を付け合っているという構図に見え面白かったというのは、
余計な感想レビューだろうか。
話がまとまらないが、ともかくチェスタトンを単なる推理小説家として
読むことだけは許してはならない。彼の評価を貶めるのはやめるべきだ。